政談114

【荻生徂徠『政談』】114

(承前) さて、上下の区別を確立させる事は、決して上の者が驕り高ぶって下の者を卑しめるためにするのではない。総じて天地の間に万物が生じるとはいっても、限りがある。日本国中に米がいかほど生じる、雑穀がいかほど生じる、材木がいかほど生じて、何十年を経てこれだけの木材を製造できるといっても、すべてのものには限りがある。しかも、その内で良いものは少なく、粗悪なもののほうが多い。このため、衣服・食物・住居に至るまで、貴人にはよい物を与え、卑しい人には粗悪な物を使わせるような制度にしたならば、貴人は少数で卑しい人は大勢いるのだから、少ない物を少ない人たちが使い、多い物を多くの人たちが使うといった道理に叶い、差し支えも起こらず、日本国中に生じる物を日本国中の人たちが不足なく使うことができる。

 もし、このような制度が立てられないと、数の多い卑しい人たちが少ない物を求めようとするから数が足りず、物の価いも高くなる。さらに多くの卑しい人たちにも望みのままに良い物を使わせようとするため、却ってその良い物が粗悪になってゆく。また、上下が混乱する事態となり、争いが起きて、さまざまな悪事を引き起こす。最初に制度をしっかり立ててそれを守るようにすれば、人々は理解して分不相応な奢りの心も失せ、無駄遣いをしなくなる。制度がないと、いくら上が奢りを禁止しても、ここまでは分相応で、ここからは不相応な奢りであるといった判断ができない。華美を好むは人情の常だから、制度がない世は次第に奢ってゆくものである。


[注解]上の人、貴人は良い物を使い、一般庶民は粗悪な物を使わせる――この趣旨は反感を覚える人が多いと思います。良い物が大量に採れたり出来るのであればまだしも、良い物は手間暇がかかるし、高価なもの。少数にしか行き渡らない。良い物が大量に生産できるようになっても、必ずそれは粗悪なものになってゆく、と徂徠は見抜いている。結局、身分の高い人だけがいい思いをする、そういう制度を確立すべきということなのだから、さすがにこれはどうかと思ってしまう。しかし、徂徠は決して身分制度の固定化を容認したり前提としているわけではなく、むしろ、特に為政者がその任にふさわしくない者であるとわかった時は容赦なく替えること、良い人材は身分や家柄に関係なく登用することをこのあとの巻三で述べている。このため、徂徠は身分制度を否定し、革命を容認しているとさえ言われて危険視され、長く本書が禁書扱いにされたほどです。

 この段もこれだけで判断したり決めつけず、まずは全体を通読したのち、改めて個々の主張や提言について吟味すべきでしょう。徂徠もまた時代の人。時代を完全に超越することは無理で、身分制度を完全否定し、平等社会にすべきことまでは言い及んでいません。無政府主義者でもない。誰かが世の中を治めなければならず、それには制度によって秩序を維持しつつ、常に人の情というものを考慮し、一方的に押し付けてもうまくゆかない――こう考えていただけでも大いに進歩的です。


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