政談113
【荻生徂徠『政談』】113
(承前) 上の者の料簡で制度を立てるというのは、現在、世上にある格というものは世の中の成り行きによって出来たものだから、何の料簡もなく、これからのことを考えたものでもない。そのうえ下の者たちの情は、それぞれが自分の外聞をよくしようと思い、これが上の者に対して僭越な振る舞いとなり、上下の区別が明確ではなくなる。下の者の情というのは、天下世界のために苦労し世話をするといった気持ちはなく、ただ自分のことばかり思うものである。このため、上たる者が天下世界のために苦労し世話をして、今の代が永く続いて万民が安穏に過ごせるように制度を立てる必要がある。
これは聖人の道にして、天下国家を治める真髄であり、その元は礼楽(れいがく)に尽きる。しかるに、後世の儒者たちは聖人の本意を知らず、礼は自然の天理などと決めつけ、天地自然と同様に存在するもの説明することから、今の代では成り行きでできた格といったものまで、まるですばらしい事のように称える有様である。
[注解]徂徠は堯、舜以下の名為政者たちを聖人と称えているものの、決して神のような存在としているのではなく、政治について理解し、正しくそれを行った、そういう才覚や態度を褒め称えて聖人としている。しかし、多くの儒者たちは、完全無欠な神のようなものとして絶対視し、立派な礼楽(制度)も自然界と同様に元から存在するものであると決めつけている。これでは現状を見ず、今の世にそぐわないにもかかわらず、大昔の制度をそのまま強行しようとする。これでは混乱に拍車をかけ、ますます世の中が退廃すると懸念し、警告している。
儒者は孔子を尊崇し、孔子が称えた周公、さらにはその前の堯、舜、禹、湯(とう)王、文王(ぶんのう)、武王といった立派な為政者たちをも神格化に等しい称え方をして、少しでもそれに近づくよう自分の精神を錬磨、修養することが学問の要諦であるとした。あくまで学問、修養は自分自身のためにするもの。しかし、次第に中身よりも形式を重視するようになり、形式さえ整っていれば中身は伴っていなくとも問題はない、とは言わないものの、礼儀作法というように、作法のほうがやかましく言われるようになり、政治における制度もまた昔のしきたり、作法に従えばいいといったことで安心するようになった。現状を直視する目をわざわざ捨てて、昔はよかった、昔の聖人たちは立派だと言って安心する。
徂徠は、もともとは朱子学の信奉者だったものの、次第に懐疑的になり、先達の伊藤仁斎が反朱子学の立場(古学)でそれに共鳴して教えを乞おうとしたものの、ちょっとしたことから仲違い(徂徠の勘違いですが=後述)して仁斎に対して憎悪し、勝手に敵対するようになったものの(といっても、仁斎はすでに死没)、ゆがめられた聖人像から脱却して、元の聖人たちの姿、教えを明らかにし、立ち返ることを主張。この一段でもその考えがよく現れています。
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