政談103
【荻生徂徠『政談』】103
●当時せわしなき風俗を改むべき事
せわしなき風俗というのは、元来政治を行う人が世の中を治める道を知らず、法令ばかり作って治めるようにした上に、政治を行う者がわがままで民に対する思いやりがないために生じるのである。城の儀式の時、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)・長袴(ながばかま)などを着用するのは礼儀正しい姿であるが、元来礼法を用いることがなかったゆえ、見事な礼譲の態度がなく、目付があちこち走り回り、作法に誤りや手抜かりがないようにと世話を焼く。儀式が済むと大勢の人で混み合い、我先にと退出し、挨拶のため老中宅へ廻ろうとするから、無礼な振る舞いや混乱ぶりがはなはだしい。これは、礼法の意識がなく、ただ上辺だけ取り繕って利口に振る舞おうとするからである。この無礼混乱ぶりを鎮めようと、目付衆がさらにあちこち走り回るが、相手は大名であり、手に余る状況。大手門前、老中宅門前、城から下がる途中の混乱ぶりは言うまでもない。こういったことは礼法に従って他人にへり下る揖譲(ゆうじょう)の大切さをわきまえず、ただ見た目だけを立派に飾って利口に立ち回り、その場さえよければいいという気持ちから起こる。
[注解]政治を行う者は重い責任を負う。そのために自分に厳しく、他人に優しく思いやりを持って接する品格が必要なのは当然ですが、徂徠の当時も政治に参加する大名=高官、議員=らは将軍の前さえ取り繕えばあとは自分勝手という意識が蔓延していたらしく、政治を行う者たちに礼儀の心がないために、世の中全体もその影響を受けてせわしなくなっている、と問題提起をします。道徳というのは師表となる立場の者が身をもって示すもので、強制して型にはめ、あまつさえこれを教科として評価までしようというのは論外。わかるまで示し続ける。これしかない。今の政権に対する痛烈な批判にもなっています。
論語劈頭(へきとう=冒頭)の有名な「学んで時にこれを習う」(学習という言葉の出典)の学と習うは、具体的には「礼」を指す、というのが古来からの諸家の説であり、そう理解すると意味がよく理解できます。孔子は政治および政治により民を教化するには礼と楽(がく)が必要だと説いている。礼は自分で自分を磨くことで体得できるもので、人から強制されたり強制しても、逆に上辺だけ作法通りにするものの、内心では反発していたり、他のことを考えている。身は国会にあっても、頭の中はゴルフや寿司、外遊のことばかりというのでは、なんのための政治家か、ということ。政治家のツイッターなどでの汚い言葉遣いも日にひどくなっており、まるでそうすることがかっこいいかのような風潮まである。あからさまな暴言を口頭で連発するようになったのは某知事(当時。のち市長に。現在は無役)で、「文部省はバカ」「クソ教育委員会」とタンカを切り、これに対して一気に注目度が高まってからのこと。この当人はそれからツイッターを始めて、さらに汚い言辞で批判者(著名人、記者)や組織(特に新聞社)を罵倒、みるみるフォロワーを増やし、この勢いにより某地域政党は爆発的に党勢を拡大。これに触発たれた他党の議員らの中からも人を見くだした発言をする者が次々と現れ、もはや世の中には礼節も揖譲もなく、バカバカしいといった空気がみなぎっている。なにかあると、告発者や主張、訴えた人を叩く。それも礼節をもって理詰めでその非を諭すのではなく、仲間を募って冷笑しつつ罵倒する。あえて政治家を「上」とするなら(そう思っている人は今も少なくない)、上の影響が下に及ぶとしても、これほどまでに悪影響している時代は今を置いて他にはないのではないかと思わざるを得ません。
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