政談100
【荻生徂徠『政談』】100
(承前) これだけではなく、公儀自身もまた旅宿に居るのと同様なものである。その仔細はというと、何もかもみなお買い上げされることで御用を務められるからである。総じて和漢ともに天下を治める上で、物を買い上げることはしないものである。大名など他の在所他国の人が城下に参勤して詰めるのは江戸が旅宿であるから当然のことである。天下を治めるからには、日本国中みな自国である。必要な物は直ちに揃うはずだから、買い上げる必要はない。物を買うということは、他人の物をただで取ることはできないから、代金を払ってその物を取ることである。日本国中みな公儀の国なのだから、あらゆる物は公儀の物なのに、他人の物だからと代金を払って買い調える。これは大いに取り違えをしている。
[注解]この徂徠の所説は、言わんとしていることはなんとなく察しはつくものの、国内のものは公儀にとって、さらに政治の上で必要なものは公儀のものとして取る権利があり、代金を払って調えることをすべきではないと述べており、疑問に思わない人のほうが少ないのでは。なぜこんなことを言うのか、その理由は次の段で述べられますが、一つには、武士が限られた俸禄の中から物を買うために商人に頭が上がらなくなり、威厳も失せ、商人なくして武家の存在はなし、という状況を目の当たりにして、これではいけないという危機感が背景にあります。政治家は大商人、財界に頭が上がらず、その手先のごとく行動するようになると国は危うくなるということです。今の首相は大勢の経済関係者を連れて外遊する行為が実に多いですが、なにも首相が同行せずとも、経済のこと、実業界のことは当事者間に任せればよく、政治的判断が必要な時は担当閣僚をつければよい。この点でも今の首相は言動が軽いし、特定の者や組織のために動いているという誹りを受けて当然です。ちなみに、今の首相は「首相」と言われるのが嫌いで、「総理」と言わせているとか。総理ならなおさら特定の者のために国会を休んでまで肩入れしてはならず、全体を総べる存在なのだから、そういう自覚が必要。
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