政談99

【荻生徂徠『政談』】99

(承前) 諸国の民で工・商の生業をする者も、ぼてふり・日用取(ひようとり=日雇い)などの遊民も在所を離れて城下に集まった者たちで、年々増加している。旅宿を旅宿と承知している時はなにかと節約するが、江戸にいる者たちは江戸を旅宿とは夢にも思わず、常住の地のつもりでいるから、暮らしの費用が莫大にして、武士の収入はみな商人に吸い取られてしまう。精を出して上へ奉公しても、上より賜る俸禄は残らず城下の商人のものとなり、馬を持つこともできず、人を雇うこともならず、冬と春の俸禄支給の間は質屋に物を預けた金でつなぎ、あるいは町人からの仕送りを頼みとして、我が身の上は人の手の中にあるような状況に今なっているのは、なんと哀れなことではないか。箸一本さえ金を出して買い調えなければならないから、こんなみじめなことになったのである。


[注解]●遊民 仕事をせず気ままに暮らしている人の意だが、徂徠は江戸に来て日雇いなどで日銭を稼いで暮らすのも遊民の仮の生活手段と見ており、正業に就いていない人はすべて遊民としている。江戸時代は明治以降と異なり、その家の主人が正業に就き、子はあくまで養ってもらう身で、嫡男は父が隠居するまでは見習いのようなことはするものの、身分としては部屋住み、つまり無職だった。それが当然だったから、別に恥ずべきことではなく、30歳、40歳になっても父が家督を譲って隠居しない間は部屋住みのままだった。50歳代の部屋住みというのもいた(今の皇太子もいわばこのようなもの)。むしろ、息子がいい歳になっているのに家督をいつまでも譲らぬ主人に対して、周囲や世間は冷ややかな目で見た。いつまで仕事ばかりするのか、と。この観念は明治以降崩壊した。次男以下は自活が基本だが(養子に出る)、そのあてがない間や家業が忙しい場合などは家にいてももちろんかまわなかった。ちなみに、今いろいろな事情で自宅にいる人のことを「ひきこもり」と言っているが、そもそも昨今使われている「ひきこもり」は官制に夜よる悪い意味で使われており、本来は職を辞して引退、隠居することを指す。英語のSocial Withdrawal(社会的撤退)という用語に「ひきこもり」という語をあてたことで、働きもせず社会に甘えているといったイメージを広めた。むしろ、こういうのは昔の「部屋住み」という言葉を復活させ、いずれ社会へ出る待機組、といった前向きな言葉を使うべきというのが私の持論。

 武士は威張っているとはいえ、生活をしなければなりません。威張って庶民から金品を巻き上げるなど、そんなことをすれば武士への信頼は失墜し、反発を招く。それに年貢などの租税を徴収している以上、さらにあれこれ要求することはできない。いまのように大量消費時代でなかったこと、なにをするにもカネという状況でなかったので、与えられた俸禄でやりくりできないことはないものの、徂徠が言うように、箸一本さえ武士は購入しなければならない消費者。町人の仕送りをアテにする者も少なくなかった。地方から江戸へ「遊民」が次々と流入するためにますます物資が必要となり、品不足となれば価格が高騰する。だからこそ、武士も庶民も本来の在所、知行地に定住すべきで、江戸には必要最小限の為政者と役人、その部下だけにすべきと徂徠は訴えます。江戸を完全に政治都市にし、大坂が商業の街として栄えているのだから、大坂を商都にし、政治と行政を完全に分離する。こういった制度を江戸時代の最初に決めておけば、無秩序な人の移動もなく、混乱も抑えられたはずだとする。果たしてそううまくいったかどうかはともかく、現状が乱れたならば、最初に戻してあるべき道(=聖人の道)を採るしかないというわけです。道が行きどまりであれば引き返したり別の道に進路を変えるのは当然。政治家や役人はメンツに固執して、自分が決めたことは意地でも変えず、御用評論家らにどこまでも翼賛させるが、このようなことまですれば、その政権は完全に終わっているし、引導を渡さなければなりません。


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