政談95

【荻生徂徠『政談』】95

(承前) 総じて天下国家を治める道は、古の聖人の道に及ぶものはない。古の聖人の堯・舜・禹・湯(とう)・文王・武王・周公は天下をよく治められ、その道を後世に残された。その道に拠らずして、困窮者を救う方法など分かるはずがない。この道を伝えられたのは孔子である。孔子の御言葉に「恵(けい)して費やさず」というのがある。これは、一銭も浪費せずに民に恵みとなるということ。この道を為政者が会得すれば、世の中の困窮はなくなる。幸いにも、今この道が教えとして残っているにもかかわらず、これをよくわきまえず、どうしようもないと諦めてしまっている。それではいけないので、古の道に基づき、上下の困窮を救う道を左に述べることにする。


[注解]●「恵して費やさず」 孔子の弟子の子張(しちょう)が五つの美徳とはなにかを尋ねたのに対し、孔子が最初に挙げたもの。五つの美徳とは為政者が政治を行うに際しての心構えで、ただカネをばら撒けばいいというものではない、と誡めを込めてこのように言った。困窮している人に対して救済するのは必須のことだが、カネや物を場当たり的に恵んでも根本的な解決にはならないばかりか、状況がよくならない困窮者たちにとっては、もっと欲しいとねだるばかり。また、勘違いする為政者もいて、金品をくれてやれば自分になつくだろうと考え、国内外に金品をばら撒いて自分への支持を取り付ける。論語読みの論語知らずという格言があるが、たとえばこの「恵して費やさず」をその政治家はどうとらえ、あるいは無視したり曲解するかで、真価がわかる。外遊に際しても、相手国や地域でいま必要としているものはなにかをまず確かめた上で、しかもそれは国民の税金から出されるものだから、国民の理解も得る努力をして、生きたカネの使い方をするのが国民の負託を受けた為政者のすべきことで、勝手にホイホイあっちで1000億、こっちで3000億とばら撒く一方、国内の貧困には冷淡では、なんのための国民の代表か、ということ。江戸時代には寺子屋でもこんな書物を教科書として使っていたのはすごいことで、小さい時はただ素読で意味もわからず読んでいても、やがて成長し、世の中のことがわかってくると、為政者とはかくあるべきものという論語の教えを通して実際の政治や為政者を見るようになる。江戸後期になると農村でも読まれ、これが結局、幕末の動乱の一つの要因ともなる。戦後は論語だの漢文というと保守反動として嫌われ、財界人や一部の倫理団体や愛国教育者が教育勅語などと併せて偏った解釈で利用しているが、これは五つの美徳と反対の四つの悪に属するもので、よこしまな者ほど悪を美とみせかけて吹き込む。そういうことも論語をはじめ古典では注意を呼び掛けてくれている。徂徠も将軍に対して、これだけ困窮者が増えている以上、孔子をはじめ昔の先達の言葉に今一度耳を傾けるべきと忠告している。今の自称最高責任者に欠けているのが、こういう側近がいないことと、ゴルフをする時間を惜しんで修養するということ。


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