1925年1月15日

1925年1月15日 大正14年

【内 閣】

総理 加藤高明/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 濱口雄幸/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 横田千之助/文部 岡田良平/農商務 高橋是清/逓信 犬養毅/鉄道 仙石貢/内閣書記官長 江木翼/法制局長官 塚本清治

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎

[海 軍]

海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎

【植民地高官】

朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助

【東 京】

府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公


東京:淀橋町水道、町内の小学校消火栓への給水工事完成。

静岡大火

12時08分ごろ、静岡市(現・葵区)新富町一丁目の住宅で、大工の妻が昼食の支度のため、仕事で出たかんな屑や薪などをかまど内で燃やして湯を沸かしていたところ、折からの強い北西の風(当日12時の静岡市の風速は9.2m/hを観測)で台所の煙突から火の粉が飛び、隣家の荷馬車業宅厩舎の屋根に燃え移った。さらに南東に隣接している市立三番町小学校(現・市立番町小学校)に延焼し、校舎1棟を全焼、1棟を半焼して13時30分ごろ鎮火した。小学校の鎮火により収拾したと思われたが、消しきれていなかった火の粉が、南東に約650m離れた上大工町(現・葵区大工町)の2棟の住宅に着火(小学校から上大工町までの間に火災は発生していない)、2棟を含む付近一帯を焼失。空気の乾燥と約20mに風速が増した強風により炎の勢いが増し、消防隊の消火が困難となり市の繁華街の大部分を焼失。静岡駅も越え南部(現・駿河区)の一部にも燃え広がった。翌16日の3時30分ごろ鎮火した。

罹災状況

焼失町数 全町焼失:47町 一部焼失:38町 計:85町

焼失戸数 全焼5,229戸 半焼46戸 計5,275戸

罹災人口 27,518名 死者1名 重傷者8名 軽傷者780名

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。