政談92

【荻生徂徠『政談』】92

政談 巻之二

 ●財の賑わいの大概

 太平が久しく続くと、次第に上下ともに困窮し、そのために綱紀が乱れてついには乱が生じる。和漢古今ともに治世より乱世に移ることは、世の中の困窮より生じる。これは歴代の予兆として鏡にかけるように明らかである。ゆえに天下国家を治めるには、まず人々が豊かになるようにすることが政治の根本である。春秋時代の斉(せい)の国の宰相、管仲(かんちゅう)は「衣食足りて栄辱を知る」と言い、孔子も「富ましてのち教ゆる」と言っている。生活に困窮して衣食が不足すれば、礼儀をわきまえる余裕もなくなり、礼儀がなければ種々の悪事が生じ、ついに国が乱れる。これは自然の道理である。いくら法律を厳しくし、上の威勢をもって下々を従わせようとしても、上下ともに困窮して動く力もなくなるような状況に至っては、それが偽りのない真実である以上、手加減をしないわけにはいかない。しかし、あれもこれも手加減をすれば、やがて法が破れることになる。法は国をつなぐ綱であるのだから、法が破れれば乱れないということはない。が、法が破れたことを憂えて動く力もない者に手加減をしなければ、しょせん強い者にはかなわないということを知らしめ、なにをやっても無理と思わせてしまうため、これも結局は乱を招くことになる。


[注解]続いては困窮、貧困についてです。身分制度にかかわらず、上も下も太平の世が続くとやがて貧困が増加する。太平の世はどうしても人心も行政も弛緩してしまう。貧困者が少なく、深刻でないうちに行政はそれ以上の進行を防ぐために動かなければならない。貧困が増加して深刻になってしまっては、手当てをする財源もなく、救済されない人たちは無気力、捨て鉢となり、国家にとっても大きな損失となる。為政者が号令をかけ、さあ働け、働かざる者は食うな、行政の保護にすがるなど甘えだ、などという状況になると、もはやすべてが空回り。しかも、こういう状況の時に民生に全く興味がなく、限られた者のためにのみ政治をする者が君臨すると、もはやこれは政治とはいえず、破壊者。法律規則を厳しくすればするほどさらに状況は悪くなる。この章は貧困について説き起こし、政治にはしっかりした制度をまず確立すべきことを説明してゆきます。徂徠の主張は、まず制度ありき、で、制度が確立していれば政治が乱れることはないし、乱れればそれを排除する、というもの。これは当然の在り方ですが、このために徂徠は逆に危険視され、本書も禁書扱いされてゆくことになります。自己保身、退職まで安泰でいたい、という為政者、役人たちにとっては、とんでもない思想だからです。

「衣食足りて栄辱を知る」は「衣食足りて礼節を知る」と同じ。どんなにきれいごとを言っても、今日明日の生活や仕事の心配をする人たちにとっては、道徳も礼儀もない。もちろん、大多数の人は貧困にあっても人に迷惑をかけず、自暴自棄にならぬように自制心をもっていますが、いつなんどき、それが破れないとも限らない。常に行政、あるいは恵まれた富裕層の篤志行為によって支えられるという安心感があれば、気持ちはずいぶん楽になり、これが生産性の向上にもつながる。こういったことは江戸時代の先人たちもわかっていた。だから、幕府は「鰥寡孤独を救う」を政治の根本に置いた。もちろん、困窮して身寄りのない者たちが不穏分子化するということを警戒するという意味もあったものの、だから弾圧するといった恐怖政治は採らなかった。為政者たちに礼節があり、情があったからです。今の自称最高責任者については、父や先輩議員らが「あれは情がない」から総理にしてはならないと言っていたとか。人を見る目があったわけで、そういう人たちこそ為政者にふさわしいと言えます。


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