政談88

【荻生徂徠『政談』】88

(承前) 今の世の人は、百姓よりほかは武士も商人も古郷というものを持たない。根を離れた雲のような境涯で、哀れなものである。大名の家来にもそれぞれ知行所を与えてそこに住まわせたいものだが、今はそれができない事情がある。元来は家来も知行所に居たが、太閤秀吉公の時より大名の領地の移封ということが始まり、移封の時に不便であるからと家来を城下に集めておくのが習慣となった。当初は戦国の世が収まった時であり、大名の勢いを弱める計略であったが、このために日本国中の総人数が減少するのは、武道においては極めてよくないことである。天草一揆の時、僅かな武士の小城に百姓たちが籠城し、西国の大名たちが一致結束して攻めたものの手間取ったのは、武士の人数が減少した証拠である。


[注解]天草一揆(天草の乱)について、徂徠は百姓一揆としている。実際には浪人も多数参加しており、百姓一揆と言うことはできないものですが、浪人は武士ではないこともあり、百姓による一揆とした。これは徂徠個人の考え、表現ではなく、当時における幕府の立場であったと言えるでしょう。



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