政談86
【荻生徂徠『政談』】86
(承前) さて、知行所に武家を住まわせる方法だが、おおよそ二、三里四方の土地に一組の武士の知行所を割り振り、知行所ごとに地頭を三千石から四千石位の中から三、四人ほども選んで配置し、その中から器量才覚ある人物を頭として選び、私領と天領を混ぜこぜにし、天領も地頭の頭に預け、組の支配、天領の行政、年貢の取立て、公事(くじ=訴訟)の裁許の軽いものなどは地頭の頭の担当とし、川普請など一切の事も頭から指示するようにする。このようにすれば田舎はおのずからよく治まり、御政道も行き渡ることだろう。現在は小身者に代官職を仰せつけられ、しかも代官は江戸に居て手代を現地に派遣させるから、不都合が起こりやすい。また、代官自身が現地へ派遣されても、小身者ゆえ公事の裁許もおぼつかないし、武備も満足でないために盗賊を捕らえることもできない。また、天領・私領・寺社領が入り組んでいるために川普請をする際にはそれぞれに許可が必要で不便である。地頭の頭を仰せつかった者は妻子ともども江戸に住まわせ、役目が終われば元の知行所に戻すのがよい。
[注解]川や道路といったいろいろな土地にまたがるものの工事は当時も管轄が複雑なために全体を一度によくすることが困難だった。せっかく川の上流と中流を改修しても、下流の藩が改修に応じないために下流で川が氾濫して洪水になるといったように、土木は広域にわたる権利者、住民の理解と協力が必要。まして当時は身分社会だったから、いくらご公儀のお役人といっても、禄高が低いと権能も制限される上に、庶民が軽く見る風潮があった。このようなことに対処するためにも、その職にある間は禄高を増やす足高の制といったものが設けられたわけです。
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