政談85
【荻生徂徠『政談』】85
(承前) 田舎に武家が住まないゆえ、武家が田舎に行って好き勝手することを懸念して、今は定められた地から五里外へ出ることは禁じられているが、これとは違い、元来どの地にも地頭がいる以上、主人のいる知行所で好き勝手ができる道理がない。川狩り、鹿狩りをして山川を駆け回ることで、国中の地理を知り、険しい地形にも慣れ、武士として巧者になることができよう。今は武家は江戸に居て知行所は遠く離れていることから、知行所に対するなじみもなければ恩義を貫くこともせず、百姓から年貢を取ることが本務と思い、百姓は年貢を取られるのが当然と思うようになり、年貢を取ってやろう、取らずにおくものか、という思いにかられて、百姓に非道な振る舞いをする輩もいる始末。ふだんから知行所に居て百姓たちと交わり、作業などを見聞きすれば愛憐の心も自然と生じ、どんな武家であろうと百姓を粗略に扱うことはないのが人情というものである。武家を知行所に置くことは、このような利点があり、政治のためにとてもよいことである。
[注解]税金は取るのが当たり前、と思う政治家や公務員は、それを納める(取られる)側の市民、国民に対する思い(情)がないからで、同じように貧困などで当然享受する権利がある市民や国民に対して何のかんのと難癖つけたり、それが悪いことのようにののしり、極力渡さない。今はことさらそういう風潮が強い。これも、どうやら「あの者には情がないから総理にだけはさせてはならぬ」と言われた当人が「最高責任者」となったことが大きく影響しているでしょう。徂徠は理知的な人ですが、根底にある考え、そして病気を押して本書を執筆して将軍吉宗に伝えようとした理由も、為政者には情がなければならないということ。為政者であり公務員である武士が本来の任地におらず、江戸や各藩の城下に住むようになったため、民百姓の苦労がわからず、年貢はお上が決めた義務だから納めるのが当然、と非情になると、結局は政治不信となり、まじめに汗して働くのも馬鹿々々しくなって、誰も彼も正業を放棄して放埓となり、悪事に走る者も出る、と繰り返し述べて、上にある者は常に目と心を広く持たなければならないことの大切さを伝えています。
0コメント