1940年1月2日
1940年1月2日 昭和15年
【内 閣】
総理 阿部信行/外務 野村吉三郎/内務 小原直/大蔵 青木一男/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 宮城長五郎/文部 河原田稼吉/農林 酒井忠正/商工 伍堂卓雄/逓信 永井柳太郎/鉄道 永田秀次郎/拓務 金光庸夫/厚生 秋田清/内閣書記官長 遠藤柳作/法制局長官 唐沢俊樹
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 湯浅倉平/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長 頼母木桂吉
武蔵野鉄道線列車正面衝突事故
武蔵野鉄道武蔵野線(現・西武池袋線)秋津駅 - 所沢駅間で、下り電車と上り貨物列車が正面衝突し、下り電車の年賀の乗客ら11人が死亡、約200人が負傷した。原因は下り電車が5分ほど遅れていたにもかかわらず貨物列車が所沢駅を勝手に発車してしまったということであるが、当時の所沢駅はライバルである旧西武鉄道(現・西武新宿線)の管轄駅であり、所沢駅職員が意図的に信号を操作し、武蔵野鉄道の運行を妨害したのではという憶測が流れたと言う。所沢駅では以前から乗客の取り合いで両社の駅員が殴り合いのけんかをしたこともあったほどで、この事故を契機に堤康次郎による武蔵野鉄道と旧西武鉄道の合併(現・西武鉄道)への流れとなった。
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