政談79

【荻生徂徠『政談』】79

(承前) さて、田舎の締まりがなくなってしまった。田舎の締まりというのは、昔はどの村にも武士がいたから、百姓もわがままではなかった。百年このかた地頭が知行所に住まないため、百姓を統率する者がなく、百姓は殊の外わがままになった。旗本の武士は小身ゆえに自身は田舎に住まず、江戸に居ては知行所の取り締まりをすることもできない。代官を派遣しても小身者の家来は若党風情だから何の役にも立たない。自然に私領までも公儀が治めるようになり、ますます地頭を軽んじるようになった。人殺しなどが発生しても、江戸に届け出て江戸で詮議をするため、日数がかかって詮議が長引き、事の真相があやふやなままに終わってしまう例も多い。盗人などを捕えても江戸に護送すれば道中の物入りが多く、江戸での詮議も容易ではなく手間取るため、ますます物入りが増える。さらに時節柄農作業の邪魔にもなることから、そのまま解き放してしまうことも多い。博奕や三笠付などの禁止の触れが出されても、摘発したあとの手続きが上記のように面倒なことや報復されることを恐れて何もしない。また、目明しといった類が田舎へ行ってはいろいろな悪事をしでかしているが、これも同様の理由で届け出ない。何事も公儀の決まりは江戸ばかりで田舎へ行き渡らないのは、田舎に武家が住まないためである。


[注解]武士は全人口に占める割合は微々たるもので、しかも城下に集住することが義務付けられていたので、農村で農民が武士の姿を見ることはめったになかった。街道筋では往来があるから、大名行列を見物するのが一種の楽しみになっていたほど。時代劇では武士が主役で(浪人を含む)、むしろ我々のほうがイメージ的に武士の存在が大きいと言えます。徂徠は武士を意識しない農民たちをわがまま(原文同じ)と表現して上から目線的ですが、日ごろ、農民たちが武士との接触がほとんどないことから武士を意に介さないような態度をするので、昔のように武士はそれぞれの知行所、領地に定住させればそういう態度も改まるとともに、事件や紛争もいちいち江戸で吟味をせずともそれぞれの地元でやれば地頭の権威も高まり、よく治まる、ということ。


本年は以上です。

拙い訳注で恐縮です。直訳では意味が通らない箇所が少なくないため、意訳で補っております。

来年もよろしくお願いいたします。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。