政談77
【荻生徂徠『政談』】77
〇武家旅宿の境界を改むる事
国ごとに取締りをさせることについては、おおよそ右の条々に語り尽くした。しかし、結局は武家を知行所に固定させなければ、取締りだけでは絶対ではない。武道を再興し、世間の奢りを鎮め、武家の貧窮を救うには、この方法しかない。
まず第一に、武家が城下に集まるのは宿に住むのと同じである。諸大名の江戸常府の家来たちは、城下に住むのを江戸が在所とは言うが、江戸は知行所ではないのだから、これもまた宿住まいと変わらない。なぜかといえば、衣食住をはじめ、箸一本さえも買い整えなければならないのだから、旅宿である。武家を城下に置く時、一年分の知行米を換金し、それで物を買い、一年で使い切ることから、いくら精を出して上に奉公をしたつもりでも、実際は城下の町人たちが潤う。だから城下の町人たちが豊かになり、世間の風潮は逆に悪くなって、物の値段は高くなり、武家の困窮が今ではひどくなってなすすべがない状態である。
[注解]続いては武家を本来の領地に定住させるべき理由についてさらに詳しく語られます。幕府を守り、謀反の心がないことを証明するために、大名たちは一定期間、江戸に住み、幕府の公務に参加するようになった。参勤の制度です。これはもとから制度として命じたものではなく、加賀前田家などが自発的に始めたものが次第に横並びで各大名も真似るようになった。妻や子を人質として江戸に住まわせるのも同様です。これが3代家光の時に制度化されました。道中には莫大な旅費がかかることから、わざと金を使わせて大名たちを弱体化させるのが目的といった俗説が古くから行われているものの、幕府はむしろ質素であることを再三命じています。江戸に出て公務に就け、カネはたくさん使え、といったことを命じれば、特に遠方ほど外様の雄藩、大大名が多く、却って反発を招いて謀叛にもつながる。そこで、安上がりで無理なくということを幕府は呼びかけた。しかし、横並びの性格は一方では他よりも上になりたいという虚栄心にも火をつけるもので、次第に人数を増やし、豪華な駕籠や衣装で見栄えをよくするようになった。結局、幕府の意向を無視した大名たちは自分で自分の所領の財政を悪化させてしまうわけですが、一定期間の江戸詰めをする参勤の制度により、常に江戸住まいをする藩士も置く必要が出来た。領主が国元にいる時は留守居役や江戸家老らが幕府との連絡、折衝をするため、重役が必要だし、その家来たちも大勢必要。このように江戸に定住する武士が次第に増え、中には一生江戸に住み、本国の方言が話せない者さえいたほどです。しかし、徂徠にとっては、こういう武士たちも江戸は自分の領地、知行所ではない以上、ただ消費生活をする旅人と同じであり、商人ばかり儲けて裕福になり、武士が町人に頭を下げり、時には借金までする風潮がはびこった。これは由々しきことだというわけです。武士は収入が公表され(それが家格を表わすため)、副業が禁止されているため、もらった俸禄で1年間食いつなぐ必要がある。余裕はないし、先のことを考えるとどうしても倹約する。これが卑屈になり、隠れて内職をしたり、賭博に手を出すことになる。これも旅人と同じだというわけです。旅人は持っている銭でなんとか行って帰ってこなければならない。だから安宿に泊まり、みやげなどささやかなものしか買わない。しかし、あまりのわびしさと、気晴らしに賭場へ行き、花札やサイコロ賭博をして小銭を稼ごうとする。しかし、そんな甘いものではなく、多くは損をする。こういう風潮が武道をむしばんでいるというのです。
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