政談76
【荻生徂徠『政談』】76
(承前) 武家の悪風といえば、武家の召使いに金切米(かなきりまい)はあってはならぬことである。武家は知行を取る者であるから、家来もまた切米でなければならぬ。知行の米を売って金に換えて使うゆえ、米の値段が下がると難儀をする。ひところ米価が暴落した際には大名も困窮した。今も国持ち大名の家では、足軽や中間までもが切米である。公家の侍を三石侍(さんごくざむらい)と言うが、これも古風の名残である。また、武家の家来がみな譜代となった時、その主人が事情により小身となってしまうと多くの譜代を養うことができなくなり、売り払ってしまうこともあろう。古の律令制度では奴婢(ぬひ)は資財と同じであるとして、譜代の家来はその家の財宝同様に売買するのが昔からの習わしである。よく説明したうえで他の家へ売り渡し、同時に戸籍も変えるのがよい。
[注解]●金切米 切米は年貢として徴収したものをそれぞれ現物で藩士たちに支給する俸禄米。現金で俸禄を支給するのが金切米。米の現物だと換金の手間があるものの、逆にお百姓の苦労を感じることができるので、中級以上の武士は現物支給が鉄則だった。 ●三石侍 公家に奉公する軽輩の侍の俗称。年俸が三石だったことから。
律令制度では奴婢の人身売買が認められていた。奴は男、婢は女の奴隷。貴族社会の世で続いた日本の暗黒史のひとつ。鎌倉幕府の世になると、幕府は奴婢も含めて人身売買制度を厳しく禁じ、これは江戸幕府も同様。しかし、おもに貧困が原因による身売りは後を絶たなかった。相応の需要があったことも一因です。世の中の乱れは法制の確立にあり、江戸幕府は幕府創設時にそれをしなかったためにあらゆる階層、あらゆる地域で乱れている。対処療法は抜本的な解決にはならないのだから、古法に戻してやりなおすべき、と徂徠は主張し、困窮した武家が人員整理として身分の低い使用人らを他の家へ売買するのはむしろ古法通りであるから認められるべき、と言っています。これについてはさまざまな意見、異論もあることでしょう。
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