政談71

荻生徂徠『政談』】71

(承前) 参勤のため手形一枚で家来たちを召し連れ、箱根や笛吹(うすい)の関所を通したならば、その後は皆逃げ出すことだろう。いかに家来が譜代でなければならないかの証拠である。また、騎馬というのは今は主人の数だけを指すようになり、日本全体で総高二千万石なのに対し、武者の数は三万余騎。日本の昔の総軍兵は三十三万騎であったから、今は十分の一になってしまった。なぜ軍学者はこういったことまで考えないのか。その上、今は泰平の世で出替わり者ばかりを雇うゆえ、自然と家来に対す愛憐の気持ちが湧かず、一年切りの採用では、雇う側も雇われる側も互いに旅人を見るような気持ちになる。何か面倒なことが起きれば請人を呼び寄せ、隙(ひま)を出せば我が身には責任は及ばないという料簡だ。奉公人も江戸に居る者はみな主人と思うようになる。このような心根が次第に風潮となり、下の者から上の者へ移り、どの主人も上(将軍)へ忠を尽くす気持ちがなくなるのは、習わしが変化してしまうからである。


[注解]主人を守るのは家臣。その家臣にもさらにそれぞれ家来や使用人たちが必要ですが、足軽、小者(こもの)に至るまで代々召し抱えられた譜代の者たちであるべきなのに、今や高禄を食む家臣以外は1年契約で口入屋などから斡旋、手配してもらう者たちを多く使っている。雇われた者たちは期間が決まっているから、その藩、その主人のために尽くすという気持ちは持てず、主人側でも、所定の期限が来れば辞めてもらうのだから、その者たちに対する愛憐の気持ちはとても持てない。こうして上下の関係が希薄なものとなると、いざという時まったく役に立たないし、譜代の者であれば、悪事を思っても自制心が強く働くからなにもしないが、非正規だと自分は主人から評価されて召し抱えられたわけではなく、単なる数合わせに過ぎないということで、主人や家のためを思って自制しようという気も起らない。家中心の社会が戦後まで終身雇用を維持し、働けば決まった丘陵が貰えるし、盆暮れには賞与もつく。退職時には退職金も出る(諸手当を含めて、本来は主人の使用人に対するねぎらいの気持ちで、いわゆる欧米のボーナスとは考え方が異なる。欧米は労働者がもらって当然、使用者は出して当然ということ。日本は労働者から要求すべきではないという意識のため、賞与や手当は出さず、逆に御礼奉公が当然という社会)。定期昇給もあれば、春闘でベースアップを獲得するといった右肩上がりの社会だったから、今は貧乏でもいずれはマイホームが持て、老後はのんびり好きなことをやろう、そのためにも通勤地獄に残業もがんばろうという前向きな気持ちになれた。働けばそれが必ず結果として報いられた。年金、医療制度もそう。何かあっても社会が保証してくれた。そういう社会が構築できたのです。ところが、それをさらに万全、強固なものとすることをせず、今のような筆舌に尽くしがたい仕打ちを市民が受けるようになった。税収がない、国の借金が増えている、などという理由を上げるものの、一方では明らかな無駄遣い。しかも、国会に諮り、国民にまず説明をすることもなく、閣議決定だの省庁の方針でただちに実施する。そのようにできる仕組みではないはずなのに、何もかもが権力者によって決められてゆく。これは江戸時代よりひどいということが、本書を見てもわかります。


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