政談70

【荻生徂徠『政談』】70

(承前) 元来、軍役(ぐんえき)というのは、譜代の家来を身分に応じて負担するゆえに、譜代のことを部曲と言うのである。しかるに、今は譜代が一人もないのが当たり前の世となり、出替わりの者さえ雇い難い状況だから、精を出して出替わり者を多く置くのを軍役の心がけがよいとしている。これがいつの間にか世の風潮となり、昔を知る人もなくなったゆえ、今の軍学者の軍隊の配置図を見れば、その主人主人を一面に備えさせ、それぞれ鎗一本の役とし、家来をその背後に配置して胴勢を呼ぶ。されば五十騎一備の侍のなかに、二百石取りもあり、三、四百ないし千石取りもあるが、肝心な時は皆鎗一本の役とし、歩立(かちだち)になれば、歩侍(かちざむらい)五十人を持つのと何の変わりもない。これでは高禄を侍にくれてやって何のためになる。元来、軍役というのは、譜代の家来はその主人と同じく配置に就く事であるが、今それを知らないのは、世間に譜代が絶えて出替わり奉公人ばかりになり、その上大坂の陣以後、日本国中の諸大名を城下に召し置かれるようになったことから、大名の家来も城下に集まるようになり、直参・又者(またもの=陪臣)の区別をすることが次第に盛んとなったのを昔からのことと思い込み、右のような不埒な料簡を軍学者という武道の師範にするようになったことである。


[注解]泰平の世でも、武士は武士。戦闘要員です。しかし、戦国の世も遠くなり、実戦経験がない者ばかりとなって、歩兵たる徒(かち)に至っては臨時雇いで間に合わせる始末。高禄を食(は)む武士とて戦(いくさ)の経験がないのだから、一騎当千とはならない。軍学者(兵学者)も同じ。誤ったことを平気で受け売りする。徂徠は、下級の者、身分の低い者を冷遇するといい人材が集まらず、数さえ間に合えばだれでもいいから口入屋で調達するという風潮を厳しく批判します。これは現代にも通じることで、非正規でいい、とにかく頭数さえ揃えばいい、その者が何年勤めていようが、経験年数も実績も関係ない、不要になったら辞めてもらうし、足りなくなれば派遣会社から回してもらう。働いてもらう人の人格、気持ちも暮らしのことも全く考えない。考えていたら、簡単に首が切れないから、情実をかなぐり捨てる経営をする。その行き着く先はどうなるか。


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