政談57

【荻生徂徠『政談』】57

(承前) 「乞食」は道心者とさほど違いはない。仏教では、釈迦が出家をする時は「乞食」の身なりをしている。肉食を嫌わず、人に煮炊きした食を乞い、袈裟と鉄鉢以外には持たず、住む所もなく、樹下にも三宿せずというのが仏弟子の作法である。今に至るまで律宗の僧侶は自分の居る部屋で火を焚かないが、これは昔煮炊きした食を乞い、自分では火を焚き飯を作らなかったことを形の上で残しているに過ぎない。されば「乞食」は仏弟子の姿である。だから雲居禅師は三年の間、「乞食」の中に入った。車善七は弾左衛門の配下であるゆえ火を一つにしないが、遊女や歌舞伎役者も弾左衛門の配下なのにお構いなしというのは、襟元を見る昨今の悪い風潮である。


[注解]●雲居禅師 雲居希膺(うんごきよう1582-1659) 奥州松嶋瑞巌寺(ずいがんじ)を中興したことで知られる臨済宗妙心寺派の禅僧。高徳清廉な人柄と念仏禅という独自の禅風をもって教化活動を行い、173か寺にものぼる寺院を開創・中興したと伝えられる。 ●襟元を見る 後段で詳しく述べられているが、高位の者にはへつらい、下賤の者は虫けらのごとく蔑むこと。外見で人を判断すること。

  この段、人を外見で判断してはいけないという趣旨で、坊さんの僧衣や托鉢の姿は乞食(こつじき=食を乞う)であり、「乞食」(こじき)の人と何ら変わりがない。「乞食」は仏に仕える仏弟子の姿であり、尊いものである、といったことをにじませている。これは理解できます。しかし、身分として「乞食」(「非人」)手下(てか)に入れられている遊女や歌舞伎役者が綺麗に着飾り、火を共にしてもお構いなしというのは悪い風潮である、とも言っている。これは身分不相応であるということを徂徠は言っており、これらの人たちは「乞食」に入れて当然という意識です。ここが徂徠の限界。決して身分制度そのものを否定したり廃止することは求めない。

 とはいえ、ずっと後の方で詳しく語られますが、身なりや外見(官位や身分といった肩書も)だけで人を判断し、いい服をまとっている人にはペコペコし、薄汚れた人にはケダモノ扱いして退けたりいじめる。こういう人のあさましさについては徂徠は繰り返し批判をし、「乞食」になった人、落とされた人はそれぞれ境遇や原因がある、つまり人にはそれぞれ歴史があり、背景があるのだから、よく考えることが必要(為政者に対して)ということです。現在はことさら属性によって差別や攻撃をしたり、自分は普通である、この国を愛していると明言する人がいますが、これは明らかに徂徠やその時代の人よりも狭い。歴史や伝統を大切にすると言いながら先人に学んでいない。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。