政談54

【荻生徂徠『政談』】54

(承前) 新たに「乞食」として「非人」頭の車善七の支配下に置くと、古「乞食」たちは乱暴に扱う。元来、こもかぶり・無宿人というのは死と紙一重の厳しい境遇にあるために恥を知らず、刑をも恐れない。そのような者に古「乞食」たちが乱暴に扱うから、ますます心がねじ曲がってしまう。しかも、お上が「乞食」の役目として刑死者・行き倒れ(行旅死亡人)・川流れ(水死体)などの始末をさせるため、ますますその心は粗暴で不仁となる。お上がわざわざそのように仕向けている。このような者たちを善七の配下にさせるから、その数が増える一方である。世間では、火の貸し借りさえ平人は「乞食」に対しては嫌うほどになったため別世界のように遠い存在となり、平人たちは「乞食」となった人たちがどのような事情があってそのような境遇になったのかさえ知らない。近頃は放火をして火罪となる「乞食」が多いが、何十年も前から悪事をする人かどうか、平人たちは知る人もないし気を付けることもない。「乞食」が平人にとって別世界の存在になっているためである。


[注解]本書が書かれた当時、享保9年現在で善七手下(てか)の「非人」は3万人余という記事が『月堂見聞集』に見えています。徂徠のいう「乞食」は「非人」のこと。完全に身分が固定化されていた「エタ」と異なり、「非人」は刑罰としてこの身分にさせられたり、無宿人刈りで入れられたりと、さまざまな事情による人たちで、平人に戻ることもできた。しかし、平人たち世間ではそんな事情や境遇などお構いなしに「非人」「乞食」というだけで近寄らず、どういう暮らしをしているのかといったことすら気にも留めなかった。権力による身分制度の恐ろしさ、狡猾さの結果ですが、そういう社会が長く続いて当たり前になると、生まれて物心ついた時から「非人」「乞食」と呼ばれる人がいて、親や周囲の人たちが関わらないようにしたり、毛嫌いする言動を見せつけれらると、自然に刷り込まれてしまう。ちょっとでも「非人」たちが困った様子(たとえばケガなどで道端でうずくまっている状態)をしている時に助けようとしたり声をかけようとすると、それだけでたしなめられたり、ひどい場合はその人まで蔑視される。名将軍と言われる吉宗の代でさえ、こういう社会状況はなんら変わらなかったし、本来なら放火や親殺しなどの大罪にのみ行われ、しかも次第に別の死罪を言い渡すようになった火刑(火あぶり)が「非人」「乞食」の人には遠慮なく執行されていたというのは衝撃です。ちなみに、享保8年における火刑はおよそ100人。そのうち「非人」は90人余りというのだから、この事実は重く受け止めなければならない。徂徠は、「乞食」たちは厳しい状況で生きてきて、囚われて「非人」にされたら古参の者たちから虐待され、お上の仕事といえば死体の処理。これではますます心がすさんで粗暴になり、非行に走るのも当然で、世間の無理解も罪深いといったように、踏み込んだ批判をしている。身分制度そのものをなくせという発言に及ばないのは限界であるものの、ただ捕らえた人に「非人」というレッテルを貼って、あとは現場まかせというお上のやり方を批判しているのは当時としてはほとんど例がないだけに評価できるものと言えます。のちの長谷川平蔵は更に進んで、死体の処理といったことではなく、授産施設を作って手に職をつけさせ、まっとうな暮らしができるようにさせた。時代というのはこのように変革、進歩してゆくものです。後戻りさせてはならないのは言うまでもありません。


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