政談53
【荻生徂徠『政談』】53
(承前) されば、昔の「乞食」「非人」というのはつまり鰥寡孤独(かんかこどく)の人たちで、天下の窮民である。いかなる聖人の御世にも鰥寡孤独は存在する。だからこそ周の文王の仁政というのはこの鰥寡孤独を憐み救う事を第一とされた。まして今の世の「乞食」や「非人」は世間の風俗の悪化と世の中の行き詰まりより生じたものであり、つまり政治の行き届かぬ所があるのだから、これを救うための方策がなければならぬ。しかるに鰥寡孤独に対してなんの思いやりもなく、機械的に「非人」手下にしてしまうのは、対処に困ってのことで奉行所役人の才智のなさというべきである。
[注解]●周の文王の仁政 周の武王の父。西伯(せいはく)と称した。殷(いん)王朝の末期に周の王として仁政を施し、以来、名君として称えられる。文王(ぶんのう)は諡(おくりな)で、「文」は立派な為政者に贈られる最高の文字。為政者にはなれなかったが、孔子も「大成至誠文宣王(たいせいしせいぶんせんのう)」その他を贈られた。
この徂徠の言葉は政治家、議員にとって重く受け止めるべきものであり、政治家になろうと志す者は何を置いても窮民を救うことを第一の義務としなければなりません。すべてはここからで、内政も外交もこれなくしては成り立たない。そもそも窮民がいることは政治の不行き届きであり、自己責任として突き放すのは簡単でも、付託している国民はそのようなことを望んではいない。税金しかり。政治は壮大な助け合いであり、一部の者による一部の者のための政治は政治ではない。客(支持者、仲間、友達)に対するサービス業。そもそも、政治家や議員は国民、市民に対して好き嫌いの感情があってはならず、中には1人や2人、できそこないが混じっていたとしても、党や政権全体として排除や差別を是認する姿勢があってはならない。生活保護の制度があるからいいだろう、しかし、これは誰でも受けられるものではない、といった意識が議員や役所の吏員まで広まり、できるだけ難癖つけて申請を認めないようにしようという空気が現政権できわめて強くなった。しかも外国人、民族差別まで加わり、排他的になっている。財政状況が厳しいからというが、使い道も諸外国への膨大な援助や融資を繰り返していれば底をつくのも当然。国会に諮ることもなく、自称「この国の最高責任者」の一存で決まってしまう。完全に鰥寡孤独の人たちは排除されている。徂徠のご政道批判に対して将軍吉宗は謙虚に聞き、反省し、道を誤らないように自分を律したものですが、今の「この国の最高責任者」はどうでしょうか。
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