佛像圖彙276


【276】牛馬童子(ぎゅうばどうじ) 


 [通釈] 

辨財十六童子第十六 牛馬童子 梵字はオン 

内五古印  

又随令童子と名づく。 

本地は薬王菩薩 


 [解説] 

 牛馬童子は随令童子とも名付け、本地を薬王菩薩とし、牛馬を牽き、回心向大、力強い行動の気を司る。 


 [雑記]

  あるお寺の動画配信で、ご住持が「左進右退」(さしんうたい)ということについてお話しをされていました。神社仏閣で参拝する時は、左足から先に進み、終えて出る時は右足から先に、というもの。そういう仕来りがあるということです。この話を聴いた人がチャットで「○○宗は逆です」と書き込みをし、ご住持が「こういうことも宗派により違いがあるのですね」とその場で言われていました。

  そこで、この言葉について調べてみると、実にさまざま。もともと弓道の作法から始まったというものや、神道から広まったと解説するものなど、逆に混乱させられたことでした。

  聖人の教えというのは、直弟子たちの段階でそれぞれに重要だと感じたことが異なり、この段階で聖人の教えがいろいろに解釈され、異なった方向へと向かうのが常ですが、仕来りや作法といったものも時代が下るとともにいろいろ作られ、複雑化するものです。聖人は全くそういうことは説いても定めても命じてもいないのに、信奉する人たちの側で「こうすることが敬うことである」「こうしないと失礼にあたる」と自己規制というか、自分たちで縛るようなことをあれこれ決めるのもいかがなものかと思ってしまいます。宗派によって反対といったことに至っては、言葉に出してはっきりとは言わないものの、「当方が正しい」といった気持ちが表情や行間に感じられる。

  左遷という言葉は、もともと官職において右が高く左が低いといったことから、右から左に移す(遷す)ことで位を下げるということに由来します(右大臣、左大臣といった例)。これも中国由来ですが、時代や地域、政権によって左が高く右が低いように定めた例もあり、一定していません。

  神社における拝礼拍手の数もさまざまで、慣れない我々はそのことにばかり囚われ、気を使い、気持ちを込めて祈ることが逆に心から飛んでしまっている。「当寺では般若心経を唱えてはいけない」と注意されたということもそう。「あれはだめ、これはいけない」が先に立ってしまうと、人は寄り付かなくなるものです。  

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