佛像圖彙275


【275】従者童子(じゅうしゃどうじ) 


 [通釈] 

辨財十六童子第十三 従者童子 梵字はタラーク 

又施無畏(せむい)童子と名づく。 

外五古印 

本地は龍樹菩薩 


 [解説] 

 従者童子は施無畏童子ともいい、宝珠を盤に捧げて両手で持つ。如意宝珠は何でも意のごとく願いや望みが叶う有難い珠で、本来は一つでよいのであるが、弁才天のまわりには多くの宝珠が用意されている。 


 [雑記] 「百年後の仏教」(最終回) 

【44】高島米峯(1875-1949 社会教育家、仏教学者、宗教家。東洋大学第12代学長。号は大圓。聖浄土真宗本願寺派真照寺に生まれる。京都西本願寺普通教校、東京の哲学館(後の東洋大学)教育学部に学ぶ。新聞記者,中学教師などをへて明治32年境野黄洋らと仏教清徒同志会(のちの新仏教徒同志会)を結成、「新仏教」を発刊。禁酒禁煙・廃娼運動などに尽力。聖徳太子奉賛会理事を務め、『聖徳太子正伝』が天皇・皇后・皇太后・皇太子に献上されるなど、皇室とも深い関わりがあった) 

「「百年後の佛敎」は敎理は哲學として學者の拈弄(ねんろう。思いを凝らす)に委し寺院は極めて小數なる特別保護建物を除きて他は大抵學校、病院などに改造せられ、僧侶は葬式法事株式會社の使用人として經を讀むものもあらむ、たゞ別に居士宗佐人宗(在家信者のこと)の建設あるありて佛敎の宗敎的方面光を放たむ。」

  仏教教理は哲学として学者に研究され、寺院は少数の保護建築物は除いて、大抵は学校・病院などに改造(転用)される。僧侶は葬式法事会社の使用人としてお経を読む人もあろうが、それとは別に在家信者による新たな宗派が起こり、仏教の宗教的方面に光を放つだろう、とします。

  以上で100年前に仏教関係者に対する100年後の仏教についてのアンケートは終わりますが、今回の高島師も多くの意見と同じく、今(当時)の仏教はやがて学者による研究対象と、僧侶による葬式や法事中心のものとなり、やがて衰微するものの、新たに在家の中から人物が出て、その人たちによって本来の宗教としての仏教が興隆するだろうと予測。逆に、人物が現れなければ完全に消えることはないとしても、そこに古めかしい寺院があり、僧侶がいて日々漫然とお勤めをするばかりで、世間全体を導き救済する(具体的に何かをするのではなく、智慧を示す)本来の役目、存在意義はなくなってしまうだろうというのが大方の意見です。

  鎌倉時代に新仏教がたくさん興ったのは、それまでの宗派が官による官のための存在という性格が強かったことや、密教系のように教理が難解で、祈祷(護摩)も俗人には意味がわからず、どう接しどう理解してよいかわからず、世の中は圧制や戦乱、災害やそれによる飢饉、疫病流行など、神仏や僧侶にすがってなんとかしたいという切実な気持ちがあるのに、それが救われるという実感が得られない。そこで、ひたすら念仏や題目を唱えるだけで極楽往生できる、仏神の加護があるというきわめて単純、簡素化された新宗派が出てくれば、読み書きもできず情報も得られない大衆ほど惹かれるのも無理はありません。

  雑な言い方ですが、私なりの考えとしては、仏陀の教え(願い)そのものは単純であり、誰の心にも伝わるものだと思います。このことはどの宗教者にも説明し伝えられるもの。しかし、悟りというものを理解し、少しでもそれに近づこうとあれこれ修行をすることに比重を置きすぎて、俗人(衆生)への布教、伝道を疎かとは言わないにしても、故人や祖先を敬い弔うといった葬儀、法事ばかりあれこれ言うようになった結果、「仏教は葬式や法事の時だけのもの」と思うようになり、本来なら折に触れて僧侶があれこれと話しをする法話といったものも法事のついでのようなものになってしまい(最近は法要のあとの法話すらしない僧侶も少なくないとか)、人々の迷いや苦しみ、悩みを聞いたり智慧を示してくれる存在としての宗教が無くなりかけているのではないか。問題を起こす新宗教にのめり込む人が少なくないのも、そういう組織が最初に何でも親身になって悩みを聞いたり智慧を示してくれる素振りをすることから、心の渇きを癒してくれるものと錯覚して入信まで至ってしまうのではないかと思うのです。

  100年前に回答を寄せた人たちはすべて鬼籍に入られていますが、現状をどう見ておられるか。かなわぬこととはいえ、100年後の今に対する思いを伺ってみたいものです。  

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