政談50
【荻生徂徠『政談』】50
(承前) このように遊女や河原者が平人と交わるようになったため、その風俗が平人に移り、今では大名や高位の幕臣まで傾城(けいせい)町・野郎町の言葉を平気で使い、武家の妻や娘も真似をして恥じることがない。逆に「これは今の流行である。問題はない。真似をしないのは田舎者だ」と罵り、平人の風俗が殊の外悪くなったのも、種姓が混乱したためである。古法に順って種姓を正し、遊女の娘は遊女に、野郎の子は野郎にし、平人との交わりを堅く禁じたならば、今の悪風はおのずからなくなる。比丘尼も平人がなる事を禁じて比丘尼(びくに)の子は比丘尼とし、種姓を極めることが大切である。
[注解]●野郎 若い歌舞伎役者。承応元(1652)年、若い役者を求めての男色がひどくなったことから幕府は若衆歌舞伎を禁じ、若衆の前髪を剃り落とさせた。これより野郎と呼ばれるようになった。同性愛は戦国時代以降特に武家の間で大流行となった。強いて言えば、これも日本の歴史であり、風俗である。伝統・文化という言い方はしなくとも、広く許容され、当たり前のものとなっていた。 ●比丘尼 尼層姿で売春した私娼。清らか、知性的、聖なる職の姿をした女性の淫らな姿に性欲を逞しくするコスプレの源流ともいうべきもの。
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