政談49
【荻生徂徠『政談』】49
〇遊女・河原者の種姓の分る事ならびに乞食のしまりの事
遊女・河原者の類を賤しい者とするのは、和漢・古今ともに同じである。これらは元来その種姓が特別なものであることからことさら賤しいものとし、弾左衛門(だんざえもん)の支配とした。しかるに近年は古法が廃れ、平人の娘を遊女に売り、河原者から商売人になる者がいる。これはよくないことの第一である。平人の娘を買い取って遊女屋へ売る者を「ぜげん」と称し、人を誘拐してまで売ってしまう。その上、わが娘などを遊女として売ることは身分が軽い者であってもあるまじきことであるが、もともと平人の娘を遊女として売るというよりも、身分あるお歴々方が遊女をもらい受けて妻にする類が数えきれないほどあり、それだからますます平人が遊女に売るということをするのである。遊女とて平人となんら変わりがないからこそ、遊女を売り買いすることをするのである。
[注解]●河原者 江戸時代はおもに歌舞伎役者の賤称として使われ、徂徠もその意味で使っている。元来は河原近辺に住み、死んだ牛馬の処理や皮革加工などを生業とした人たちだが、中世までは固定した身分ではなかった。秀吉以降、身分制度が確立、強化されるとともに被差別民として切り離す政策が江戸時代になって徹底された。なお、中世における「河原者」と「非人」は同一か否かについての論争があり、まだ決着を見ない。 ●弾左衛門 原文は「弾」を「団」に作る。関八州および東北から三河にかけての「えた」「非人」の総取締役で世襲。代々この名を名乗った。職名は「えた頭」だが、長吏頭(ちょうりがしら)を自称。自身も被差別民だったが、幕府からいろいろ優遇されて武家並みの暮らしをしていた。職人の一部、歌舞伎役者、芸人、遊女屋なども支配したが、職人はいち早く支配から逃れ、次いで歌舞伎役者も離脱した。なお、先に徂徠の姿勢を明らかにしておくと、徂徠は聡明で理知的で、世の中のさまざまな制度や出来事を冷静に判断し、近代的な考えも随所にみられるが、唯一、被差別民に対しての考えは時代を超えることはできず、この段でも「特別な者」と分けている。いかに差別意識が浸透して当たり前になっていたかがわかるが、この点を頭に入れておいてほしい。
続いては遊女と「河原者」、そして乞食についてです。最初のこの段は為政者など身分が高く、人を支配する者たちにとって耳の痛い話です。もともと遊女などという者はなく、男性たちが女性を買うことをするために、それに便宜を図る「ぜげん」があり、遊女屋がある。お歴々さえこんなことをしなければ需要がないのだから、供給もなくなる。誘拐してまで遊女として売り飛ばすのは犯罪であり、当時でもこれは重罪でした。しかし、現実には若い娘がいいなどといって身分ある者が所望するから、それに取り入ろうとする商人らが手を回し、自分は直接タッチしていないよう装いながら供給する。また、堂々と遊女屋へ行く武士もいる。昔は頭巾や笠など被り物が多く、特に夜は身分の高い武士や女性たちは必ず頭巾を被ったため、顔を見られることなく好きなことができた。今なら目出し帽などを被っていれば怪しまれるし、警官から不審尋問されるのは確実ですが、江戸時代は逆に顔を覆うのが当たり前でした。昔も色を好む身分ある者が少なくなかった。「昔も」と言わなければならないところに、今のお歴々たちのハレンチ行為(しかも「問題なし」と政見が庇う)に対する嘆きがあるわけですが。
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