政談47
【荻生徂徠『政談』】47
(承前) 花月の謡(うたい)や義経記(ぎけいき)という双紙を見ると、山伏は稚児(ちご)を携えて僧と違いはない。真言・天台の道場で僧と一緒に学問をしたはずなのに、いつの間にか僧とは別の者となり、勤行(ごんぎょう)の作法をはじめ修法も違っている。ただ真言や天台に属したというだけのこと。吉野(金峯山寺)の僧も以前は妻帯をしていたが、この四、五十年、文明の世になったためにどの僧も妻帯をやめ、今は清らかな僧になっているという。山伏なども本山からの誘いにより清らかな僧となる方法もあることだろう。寺の召使いに刀を差した者、僧が外出する際に刀・脇差を差した者を召し連れることは、御門跡(ごもんぜき)以外は院家(いんげ)たりとも禁制にすべき。
[注解]●花月の謡 世阿弥の作もと伝えられる。我が子花月を天狗にさらわれ、九州から各地を廻って探していた左衛門(さえもん)が京都清水寺で花月にめぐり会う話。 ●義経記 源義経の生涯を描いた物語。室町期の作という。 ●御門跡 元来は師祖の法統を受け継ぐ寺院や住職のこと。のち、皇族や摂家(せっけ)出身の僧とその寺院の称号。 ●院家 門跡寺の別院、そこに住む貴族出身の僧のこと。
徂徠にとっては、僧形の者(山伏)でも寺院に定住せず、刀を差した者は警戒すべき存在で、寺に住まわせ、自身や従者らに刀を持たせるべきではないとする。
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