政談46
【荻生徂徠『政談』】46
(承前) 陰陽師・事ふれ・宮雀の類は小刀(ちいさがたな)一本を持ち、山伏は無刀でよい。いずれも大小を差して武家に入れるいわれはない。以前は山法師・奈良法師・根来(ねごろ)法師の類が大小を差し、甲冑を所持していたが、今は本物の僧となっている。山伏は山入りの時に柴打利剣(しばうちりけん)を差す古法が残っている。それならば、山入りの時だけ古法に従って刀を差せばよい。平生、城下や田舎を歩くのは勧進のためで、勧進とは出家の掟で食を乞うことである。これは忍辱(にんにく)の行(ぎょう)だから大小を差す必要はない。田舎など女や子どもの多い所で大小を抜いて脅して金品を要求する者が多く、事ふれといった神職姿の者も同様のことをしている。
[注解]●陰陽師(おんみょうし) 律令制度下における官吏の一つで、天文や暦を測定して吉凶を判断した。鎌倉・室町幕府もこの職を設置したが、江戸時代は幕府だけでなく朝廷にも置かなかった。極めて現実的な職であったが、江戸時代に民間人となったことから生活のために加持祈祷などを行うようになった。医療が充分でなかった当時は、重い病ほど加持祈祷にすがったことから大いに流行り、中には怪しげな雰囲気を前面に出して信じさせる者もいた。近年の陰陽師ブームはむしろこのよこしまな者の姿があたかも昔からのもののようにさせたものがはやっているが、これは真の姿ではない。 ●事ふれ 鹿島の事触れ。正月三が日に鹿島神宮の神職と自称する者が各地に出没し、神託(神のお告げ)としてその年の吉凶を触れ歩いた。その際、お金を取った。 ●山法師 比叡山延暦寺の僧。 ●奈良法師 興福寺・東大寺の僧。 ●根来法師 紀州の新義真言宗大本山大伝法寺(根来寺)の僧。
外見、身なり、肩書で人を信用させたり威圧して悪事を働く者がいつの世にもいる。当時は特に僧に扮した者による犯罪が多発していたため、徂徠はこのような者に刀は不要であり、儀式など必要な時だけ差し、寺を持たず定住しない陰陽師らはせいぜい護身用の小刀(時代劇の水戸黄門でご老公と助さん格さんが差している道中差しも小刀)ぐらいにとどめ、托鉢をして回る勧進は修行なのだから刀は必要がない、と厳しく制限することを提言している。護摩の灰と言われる者たちもインチキな灰をいかにもありがたいもののように宣伝して押し売りし、拒否すれば追い剥ぎをするなど街道筋の治安を悪くし、その土地の藩のイメージを悪くしたから(天領であれば幕府)、野放しにしないのはもちろんだが、まず誤解されないような身なりをさせ、刀剣類は厳しく取り締まるべきというわけです。当時も基督教や一向宗などを除けば信仰は自由で、さまざまな事象、現象が科学的によくわかっていなかっただけに神仏に祈る気持ちも強かった。それに付け込む連中もおり、元は武士である、武家の家筋であると称して二本差しの者もいた。そのような者は武士ではない、だから太刀も脇差も必要はないと徂徠は断じたものです。
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