政談45

荻生徂徠『政談』】45

 〇浪人ならびに道心者のしまり等の事

 右のごとく戸籍の法を確立させようとする際、人にはいろいろな身分があることから差し支えも生じることだろう。浪人という者、元来は武家に奉公して、その主人の人別に属していたが、今は主人から離れた身であるため、新たな主人ができるまではどの町村に居ようとも一時的なもので、旅人のような心である。しかし、戻る故郷もなければ、旅人とも言い難い。それゆえに浪人ということで、どこに居ようとも借家人の扱いとなる。親類らの請求により置いておくことは、今も昔も大した違いはない。

 道心者という者も、頭(かしら)もなく、監督する者もないが、これも鰥寡孤独(かんかこどく)の類でおもに窮民がなる者であれば、仕方がない。剃髪の師(僧侶)の届け出により、借家人同然となる。寺社方の隠居や旅僧の類は、寺社の門前に限って住まわせること。仏法では、僧が民間に居住することを誡めている。昔からの僧尼令でも禁じている。邪教の類も民間に混じっていてはなかなか把握し難い。


[注解]●道心者(どうしんしゃ) 仏道に志して剃髪をしているものの寺には入らない者。また、乞食坊主のこと。

    続いては浪人および寺に属さない僧形の者の取り締まりについて。浪人はもともと浮浪人のこと。牢人とも表記するようになり、特定の主人を持たない武士で、戦乱の世にあっては臨時雇いとして使われる身となったものの、江戸時代になり、もはや武士の臨時雇用もなくなると、完全な無職の人となり、身分上も士分からはじき出された。このためになんとか仕官の口を求めようと各地を回ったり、それもかなわないと農作業でもなんでもとにかく働き口を得るために村をさまようようになった。戸籍をいくら完備させようとしてもこういう人は定住しない=住所不定となるし、無理にどこぞの土地に縛り付けようとしても稼ぐことができなければ別の所へ逃げ出す。故郷もなければなおさら浮き草、浮雲のごとく漂泊する。これをどうすればよいかという問題。江戸時代における浪人は、ほとんどが5代将軍まで盛んに行われた藩の取り潰しの強硬政策の犠牲となった人たちなので、幕府も強く出ることができない。粛清などもっての外。しかし、天草の乱や由井正雪の慶安事件のような浪人が多く参加した反乱の例もあるため、野放しにもできないわけです。

 それから道心者。徂徠はこれについて特に重視します。なんとしても取り締まる必要がある。詳細はこのあと語られますが、身なりが僧衣をまとって坊主頭のためにそれだけで人々は信用し、よこしまな道心者は邪説を信じさせて金品を巻き上げたり信者(手下)を増やすといったことがすでに遠く律令時代から横行したことから、そういう行為を禁じ、出家者は必ず寺社に定住することを定めた令(りょう)が作られたほどです。江戸時代も邪説、邪教が行われ、特に後期以降幕末になるにつけて社会不安の広がりとともにいろいろな宗教が生まれ、今も新興宗教として大きな勢力を持つものもあるほどです。


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