政談44
【荻生徂徠『政談』】44
(承前) 街道では明朝の飛脚の法により、宿場ごとに問屋の続印(つぎいん)を捺させるようにするのがよい。江戸外れの番所ではそれぞれの印鑑を捺す。街道の宿場は、品川・板橋・千住の類はそれぞれの印を見知り、その先はそれぞれの次の宿場の印さえ見知っておけば済むこと。印のない人は決して通してはならないと定めるべき。宿場の近在の村々では、その宿場と同様の印鑑を取り交わしておく。江戸近在の村々より江戸府内へ用足しに立ち入る者については、出る時に必要であるから町名主より木札でも渡しておき、それを証拠とさせる。諸大名の城下も同様にする。このようにすれば、本街道を通らず脇道に抜けることはできなくなる。
但し、以上の事はみな戸籍の法が有効であるとする上でのことであり、このような規則では、旅をする上ではよほど不自由である。今は戸籍が整わず、旅が自由な状態だから害が多い。箱根の関所でさえ、女は女手形により厳しく取り締まっているが、その他の者については今はかなりいいかげんである。戸籍の法さえ確立していれば、宿場ごとの確認や調べをせずに済み、通行が滞るといったこともない。
[注解]江戸時代初期は戦国世代が多くて荒々しい気風が強く、幕府も諸大名も気負っていたことからなにかと厳しい時代だったものの、その世代も絶え、泰平の世が当たり前になると、あまりに厳しい法令、制度は却って武士自身を縛るものとなった。参勤交代や公用で武士たちはしょっ中旅をするものの、武士だからフリーパスというわけにはゆかない。当初は特に幕府の公用の使者や飛脚はすべてに優先したものの、逆にこれがために他の者たちが不便を強いられるようになった。庶民に対してはそれでいいかもしれないが、武士、特に外様諸藩の怨みを買うのはよくない。また、お伊勢参りなどで次第に庶民の旅も緩和されると、途中の諸藩にとっては旅人はお金を宿場に落としてくれる有難い存在となった。このため、通行手形、道中手形をこまかくいちいち調べ、その都度認め印を捺すなどしていては日数がかさむ。そこで、戸籍に基づいた手形さえ整っていれば、要所要所だけ改めるようにすればよいというわけです。箱根の関所は時代劇では厳しいように描かれていますが、東海道でいえばむしろ新居の関所のほうが厳しく、特に女性はここで徹底的に調べられたものです。それも後期になるとぞんざいになり、幕末には崩壊してしまいますが。
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