政談43
【荻生徂徠『政談』】43
(承前) 路引は明朝(ミンちょう)の法である。明朝では国境ごとに関所があり、切手によってこれを通過させる。今、我が国でもこの法を採用して、城下の周囲、田舎への道のある木戸に関所を設けて番人を置き、入る人は構わず、出る人に対して路引を改めるようにする。出る人の路引は、武家屋敷ならば町ごとの肝煎の印、大名屋敷は屋敷ごとの印、町人は前に述べた地区ごとに支配する奉行のもとで名主を月交替にさせるなどして印を捺させるようにする。その際、必ず人数・姓名・荷物の品の明細、それにどこからどこを通行するということを記させる。
[注解]徂徠は世の中を建て直すには法律や制度を作られた時代に戻してやり直すべきという立場ですが、この段のように、先進国たる明の法制を活かすことを説いている。これこそ温故知新。日本は唐の時代の律令をもとに律令制度を確立させ、本格的な行政が行われ出した。この精神は連綿と続き、大臣だの文部といった言葉もこの時に採用されたものです。「省」と言う名がそもそも式部省、民部省、兵部(ひょうぶ)省など八つの省が律令制度下の太政官制度で創設されたもので、中国の吏部省、工部省などに影響されたものです。幕藩政治のもとで姿を消したのが、明治時代になって復活、議会制民主主義時代の現代にあってもなお厳然と存在している。国民からお上意識が抜けず、政治家や官僚らがお上意識を持つ原因の一つが、こういった大時代な名称や体制を温存、継続させていることは間違いありません。「大臣」という名称は一早く廃止すべきものです。それはともかく、中国では王朝、時代の変化とともに制度や機構も改まり(これが文献を読む時の難物で、同じ役職でも時代によつて名が激しく変わる。もちろん、職分が変化するものも多い)、徂徠はいちいち訓読せずともそのまま最新の文献を中国語で読解できたことから、常に新しい中国事情や世界情勢の一端も知ることができた。有効な制度はただちに採用し実施することを説いています。
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