佛像圖彙261


【261】庚申青面金剛(こうしんしょうめんこんごう)・右方童子(うほうどうじ)・左方童子(さほうどうじ) 


 [通釈] 

靑面金剛 梵字はウン 

老子三尸經にいう「人は生まれてより三尸(さんし)という者が体内にあり身から離れず、常に命を害しようとしている。庚申(かのえさる)の夜にその者の罪を天に告げることから、一晩眠らずに三尸の名を呼べば禍いを去り福が来る。夜半の後に南を向って再拝していう「上尸は又彭俗(ほうぞく)で靑色、中尸は白色、下尸は彭矯といい赤色。彭侯子(ほうこうし)・彭常子(ほうじょうし)・命児子(めいじし)と三回唱えるが良い」と。 


 [解説] 

 青面金剛は、庚申待ちの主尊。庚申待ち(守庚申)は道教の三尸説が日本に伝わり、仏教更には神道とも習合した信仰。圓仁が唐での見聞を持ち帰り、更には成尋が、かの地から叡山に送った典籍の中に「老子守庚申長生經」があり、それに基づいたともいわれている。殊に天台では庚申の「申」が日枝の神の神使にも通じるので広まったようである。

 平安期に於いては一部の貴族階級の娯楽を兼ねた祭事だったが中世には地方にも広まり、庚申供養の交名板碑の造立も増えた。近世に入ると農村部に広まり至る所に庚申供養塔が造立された。農村では頭屋の家に集まり飲食し夜を徹して寝ないようにした。この際には農事等村の懸案事項の相談協議なども併せて行われたよう様である。

 仏教系統では青色金剛を祀り、神道系等では猿田彦を祀る。庚申供養塔には多く三尸に擬えた三猿も共に表現される事も多い。日本三庚申は天王寺庚申堂・八坂庚申堂・入谷庚申堂の三か所だが、入谷庚申堂は廃絶し小野照崎神社に庚申塔のみ移されている。 東京都大田区沼部密蔵院の庚申堂は「沼部の庚申」と呼ばれ元禄年間造像の木造彩色の青色金剛の他左右童子に四夜叉も皆具した稀有な例である。俗信としてはこの夜に生まれた子供は盗人になるとて予防のために名前に「金」の字を入れる事が多かった。夏目漱石も其の例である(本名金之助)。

 左右童子は、右方童子は柄香炉を持ち、左方童子は拱手する。

 絵は江戸後期の掛軸(刷物)。 

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