佛像圖彙243


【243】新宮(しんぐう) 


 [通釈] 

新宮 梵字はべイ 

景行天皇十八年、熊野新宮を建立。 

本地は薬師如来 


 [解説] 

 熊野三山の一つ、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。社伝によると景行天皇58年に現在地に遷座し、速玉之男神の名から社名をとったという。もともと祀られていた所である神倉山は神倉神社となり、また元宮と呼ばれ、当社は新宮と呼ばれる。本書では景行天皇の18年、社伝では58年としているが、どちらが正しいか未詳。社伝が正しいということになるのだろうが、本書が編まれた当時は「十八年」と伝えられていたのであれば、現在の社伝がいつ変わったのか、興味あるところである。 

 速玉大社の牛王符。誓約書として用いられた。 

 

[雑記] 「百年後の仏教」 

【24】天松居士 濱地八郎(弁護士、金剛経に一生を捧げ、護国大観音(大船観音)建立を発願、国士舘設立に尽力) 

「陰陽消長の理は佛法も亦免れざるものにて、今の佛法は此處にて殆んと滅亡すべし、何となれば今の佛法は形式のみありて佛法なければなり、金剛經に「所謂佛と法とは佛と法とに非ず」とあり、今の佛法は所謂佛法なるを以て世間と沒交渉なる時即ち佛法は滅亡せしものなり、故に金剛經に「一切の法は皆是れ佛法なり」と説き給へり、一切の法は皆是れ佛法なりとは世間一切の法即ち佛法なりとの意なるを以て、單に寺院と僧侶とあるとも世間と沒交渉なれば佛法はなきこと勿論なり、

  居士(=自称)は金剛經の外多くの佛典を讀みたることなし、然れども佛法の第一義は此金剛經に盡きたるものと思料せり、即ち現今の社會を救濟すべき總ての根本義は一々之を説き示しあればなり、故に居士此經を和訓して十數年來世間に流布せり、居士は現今の個人的我儘主義が遠からず行止りて、金剛經に説き示せる如く、各自菩薩となりて自己を忘れて一切の衆生と無餘涅繁に入れて安樂ならしむるを以て人道と爲すことを自覺する時代のあるべきことを信ずるのものなり、現今の社會は個人的我儘主義の時代なり、佛法も亦此我儘主義の爲めに滅亡せり、儒敎も神道も其影響を免れず、然れども各人我儘に行動するときは何事も直に行詰りて自他共に幸福なるものなきに至ること勿論なり我獨り我儘なること能はず人も亦我儘なるべし、人我共に我儘なるとき此に爭あり、故に我を忘れて一切の衆生を安樂ならしむるものなり、居士は此我儘主義の時代が早く行去りて一陽來復して菩薩道即ち人道なることを自覺することの早きを祈るものなり、今の佛法が世間と沒交渉となりしも我儘の爲めなり、僧侶の生活は安樂と云ふに至らざるも、食ふに困らず何事にも手を出さざれば無事なりとの考より然るものなり、然れども世間に生存する以上は結局世間の用を爲さずして濟むべきものにあらず、何となれば世間に用なきものは滅亡に屬すべきは自然の理なればなり、百年後の佛法は世間一切の交渉あるものにして、一切の衆生を無餘涅槃に入れしむべきものなること勿論なるを以て、十萬の佛敎家が早く自覺して我を忘れて菩薩となり、我儘主義の爲めに有形の苦を受け居る衆生を救濟すべき事業に活動すべきことを希望す、是れ佛法興隆の最善の方法なりと信ずればなり。」 

 「金剛経に一生を捧げた男」として知られるだけあって、金剛経に照らして当時の仏教界を憂え、「一切の衆生を無餘涅槃に入れ」させ、「十萬の佛敎家が早く自覺して我を忘れて菩薩となり」「有形の苦を受け居る衆生を救濟すべき事業に活動すべきことを希望す」ると述べています。力のこもった長文の回答は、氏の憤懣やるかたない思いが一気に吐き出された感があります。特に、再三再四「我儘」(わがまま)という言葉を使って現状を批判しているのは、本来、一切は空であり、無私であるはずの仏教を信奉し広める人たちにあるまじき態度であることが、よほど腹に据えかねていたのでしょう。忿怒の形相を見るような感じです。 金剛経の教えにもあるように、世間にあるあらゆる法を「仏法」とする考え方に則るならば、世間と向き合っていない仏教界の仏法は「真の仏法」とは言えないことになる、これではいけないという危機感も。   

過去の出来事

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