政談34

【荻生徂徠『政談』】34

(承前) さて、治める仕事を尽くすとは具体的にはいろいろあるが、要するに田舎は農業、城下は工商業に従事せぬ者がないようにすることが第一である。家業を務めない者が一人もなければ、人々の心が浮つくことなく現実的になるゆえ、さまざまな悪事はおのずから消えてゆく。このような根本を忘れて、ただ枝葉の現象で悪事を抑止しようとしても、どれほど才智のある人でもとても才智は及ばない。されば、しもうた屋といった者、工商の業をせず、ただ町屋敷(表家業)の裏で渡世をし、あまつさえ自分はその町屋敷におらず、家守を代わりに置き、奉行所へも家守を住人として届け出ておき、自分は安楽に生きる。このような者は俗眼には何の害もないように映るが、風紀上はとてもよくない。すべての者が町屋敷に居り、それぞれの工商の業をさせること。田舎でも、本百姓が農業をせず、小作人に作らせて自分は江戸のしもた屋のまねをする者が近年多くなった。これらも禁制すべきである。また、家業を務めるといっても、当節は種々の悪事を家業とする者が多い。とにかく本業の家業をさせるようにすべきである。


[注解]●しもうた屋 しもた屋とも。仕舞屋。「しまった」が「しもうた」となまったもの。関西弁のようだが、江戸語。商売をやめてしまったり、商売をさぼっている商家のこと。特に高利貸などを指す。 ●家守 地主に代わって土地と借家を管理し、地代・店賃(たなちん)を徴収する者。大家。差配(さはい)。

 個人より家を重んじた当時は、家業に従事するのが鉄則。このため、職にあぶれたり職探しといったみじめな思いをすることはないものの、家業が好きではない者、楽して金儲けをしたい者はいつの時代にもいるもの。田舎より都会がいいという者ともども、家業を放棄する者が絶えなかった。だから射幸心を煽り、正業を放棄したりつかない者が出て犯罪の温床にもなる賭博を禁じたわけですが、それでも「しもた屋」が増加した。町人では商家の主人、農民では本百姓が自立して大勢の人を使う身分で、最も暮らしに困らない身分。それをいいことに、主人は店を家守に任せ(もともと主人は商売に携わらない。平素は番頭がすべてを仕切る)、本百姓は小作人や下人に全部任せて、金貸しをしたり遊び惚けたりする。この姿が風紀上よくないという。身分の高い者、責任の重い立場の者がいいかげんな生き方をし、仕事も責任も下に押し付ける。まじめに働き生きる者たちが次第にバカバカしくなってくることを徂徠は危惧しているわけです。

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