政談32

【荻生徂徠『政談』】32

(承前) それだけではない。人には郷里というものが定まっているから、親類も近くにいるし、幼なじみも大勢いる。自然と親類や友達のことを思うと悪事はしないものだ。一町一村の中では名主を知らぬ人はないし、住民は互いに先祖からの知り合いで、幼少からの知り合いである。善悪ともにすぐ分かる上に、五人組の法を以て吟味する時は、支配者が把握できない家はない。現在も人別帳もあり、名主もあり、五人組もあるが、店替えを自由にし、他国へ行くことも他国から来てそこに住むことも自由にしたならば、日本国中人々が入り乱れて混雑しねどこもかしこも一時の住み家となり、その地その人たちを永く大切にするという心がなくなる。隣のことをかまわず、隣もまたこちらをかまわず、お互いにその人の生国や実家を知らず、知らなくても別にかまわないという状態になる。先祖からの知り合いでなければ名主をはじめ自分のこととして考えることもなく、それぞれ自分の好き勝手となる。今はたまたまそこにいる人を人別帳に記すだけで、人の移動があればその都度記載したり抜いたりする。これでは人別帳も何の役にも立たない。


[注解]5代綱吉の元禄の世(儒者として柳沢吉保に召し抱えられる)から8代吉宗の享保年間(享保の改革の真っ最中)まで、幕閣の中枢の側近くにいて政治の生々しさを見て来た徂徠にとって、晩年に書かれた本書には常に元禄およびそれ以前の世の中のほうがまだよくて、享保の世は政治が乱れているから世の中も乱れたというふうに映ったようです。年を取ると昔のほうがよく思えるのは人の性(さが)でしょうが、冷静に見れば進歩した点も多い。むしろ、徂徠は気軽な旅行やよその土地での滞在が犯罪の温床のようにみているのは堅苦しい感じさえします。しかし、政治の頽廃は常に警戒し、その予兆があればすぐに正さなければならないのは当然で、本書もそのために書かれたものであり、移動の自由化は時代の趨勢として認めざるを得ないものの、だからこそ法を今一度確立し、それに携わる官公吏たちの意識、気風も厳正・厳格でなければならないというわけです。政治とは厳しいもの。人々が笑顔で暮らせるようにするためには、政治家、役人たちは常に怒ったような心構えでなければならない。本書を執筆した時、徂徠は既に病に侵されており、後年の正岡子規とまではゆかないものの、もう自分には先がない、だからこそこれだけは書き遺しておきたいという気迫がみなぎっています。坊さんと学者は長命な人が多かった中、大勢の弟子を育て、膨大な書物を著わし(大半は漢文=訓点のない中国古典語ととらえるべき)、更には歴代将軍の相談役として難しい問題にあたるなど八面六臂の活躍をしたものの、僅か63歳で亡くなっています。弟子のうち特に傑出した太宰春台(だざいしゅんだい。この人は神経質で堅物)は66歳、服部南郭(はっとりなんかく。この人はおおらかで遊び人的性格。「唐詩選」がベストセラーとなり、今に至るまで教材として使われているのは実にこの人が紹介し、広めたから)は77歳。これに比べても63は早すぎまする

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