佛像圖彙231
【231】吉備大明神(きびだいみょうじん)
[通釈]
吉備大明神 梵字はタラーク 三十日
備中の国賀夜の郡(こおり)に鎮座。
孝霊天皇の御子(みこ)の吉備津彦命である。
本地は虚空蔵菩薩。
[注]
賀夜 かつて備中岡山にあった郡。「賀陽」(かや・かよう)の表記も多く使われている。
[解説] 吉備大明神は、本来は吉備の中山を神体として祀ったものと考えられる。吉備の国が三つに分かれた時に神社も分祀された。そのため吉備津明神はなかなか一筋縄ではいかない神で、三十番神の吉備明神は現在の吉備津彦神社を指しているが、隣接する吉備津神社も元は同一であるものの、微妙に違いもあるので註し難い神です。
[雑記] 「百年後の仏教」
【14】長谷川天溪(文芸評論家。博文館で「太陽」を編集)
「現代の佛敎を救ふ可き第一の方法は佛典の現代語譯なるべしと存じ候、即ち出來得るだけ漢譯を離れて現代の言語と其の脉絡(みゃくらく)とに從ふことが佛敎を復活せしむる最上の方法と思考仕候(しこうつかまつりそうろう)漢譯流の佛語を有り難たがりて居る間は佛敎は大病人にて御座候」
仏教を救う方法は仏典を現代語訳すること、と述べています。これは現在に至るまで主張する人が多く、般若心経をはじめ主な仏典、お経本が平易な現代語訳としていろいろ出版されています。「お経は意味が分からなくてもよい、唱えることに意味がある」として現代語訳を認めない(というより、現代語訳は別物だという考え)人もまだ多くおられるようですが、歴史を見れば、高僧と言われる人の多くは釈迦の教えを大衆に分かりやすく説いたり、絵で示したりしたものであり、それらも「現代語訳」に類するものといえるでしょう。唱えても意味が分かるのと分からないのとでは気持ちの込め方も全然違う。呪文ならともかく、祈願や回向をする経文の意味ぐらいは知っているほうがよいと私なぞも考えます。
僧侶の中には、漢文が読めない、従って漢訳された経や註釈も読めないという方が増えているとか。これは漢文、ひいては古典軽視の時代相の影響もあるでしょうが、奈良時代から鎌倉時代にかけては、僧侶はエリート中のエリートで、最もよく外国語たる漢文を読み書きできた人たちで、儒学者と競うほどでした。お経、釈迦の教えをなんとしても理解したいという意欲がそうさせたので、理解できれば平易に説明や表現することもできる。仏典の現代語訳はけしからんという人は、棒読みしかできないのではなどと勘繰ったりもしてしまいます。
仏教説話、講釈の歴史もまた、仏典を平易に分からせたい、分かりたいという多くの人たちの願いがあったからで、親しまれたのも当然でしょう。現代でも絵本や物語、詩といった表現で教えを広める方々がいます。カルトといわれる組織が出すものには特殊な思想や価値観に誘導するものがみられるので注意が必要ですが(なにかをことさら美化する)、示した上で後は受け手に任せるといった態度のものは接してもよいように思います。
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