佛像圖彙230

【230】釈迦如来(しゃかにょらい)

[通釈] 

釈迦如来 梵字はバク 三十日 

仁王経抄にいう「釈迦は能仁と翻訳する。能仁とは慈悲の意味である。能く慈悲を以て他に与えるので仁という」と。 


 [注]

 仁王経抄 正しくは仁王護國般若經疏法衡抄。唐の良蕡の著と思われるが、仁王経の註解は多いの  で未勘。 


 [解説]

  釈迦如来も既出。旧暦は大の月が三十日までであり、殿(しんがり)ということになる。新暦における三十一日は縁日となる仏さまが無いが、宗派や寺院によりいろいろ定めている所があるようである。 


 [雑記] 「百年後の仏教」 

【13】早稻田大学講師 土屋詮教 

「甞て『日本及日本人』に「百年後の日本」と題し、豫言を徴せられ頗る迷惑を感じたが、今「百年後の佛敎」に關し豫言することは、一層迷惑と申す外無し、佛敎徒の覺悟如何、實行如何、此の觀察により斷案が出來るのである。觀ずるの所、釋尊の豫言として傳へらるゝ末法の實現か、澆季(ぎょうき)の世か。或は佛陀再現するかも知れず。」

  土屋氏は、こういう質問は迷惑であると不快感を露わにし、仏教徒自身の覚悟と実行とにかかっているとする。つまり、自分ごときに尋ねるならば、各位が本来の務めを果たしてこそ将来のこともはっきりするのであり、それをしないのであれば、釈迦が予言したように末法の世が到来してしまうか、澆季末世(人々の心が荒れ果てた末の世。「澆季」と「末世」は、この世の終わりのような、道徳や人情が乱れた世の中のこと)となるか、それとも仏陀が再び現れるかどうかもわからないではないか、とします。

  元首相が在任中に日々虚言を弄したり、法務大臣の職にあった者が不正を働いて逮捕されたり、このたびは国家公安委員長が選挙買収の嫌疑がかかるなど、世の中の安寧を守り、最も法を順守しなければならない重職者たちが不法行為、不道徳な行為をして恥じない状態は、明らかに澆季の世。死刑になりたいからという理由で無差別に、しかもできるだけ大勢を殺傷しようとする犯罪の多発もそう。是非善悪の判断がしっかりできるようにする、弱い心を強く支える、こういったことは宗教の役割も大きなものがあります。しかし、カルトや宗教にみせかけた悪徳商法などにより、世間の宗教に対する目は厳しくなり、さらに墓地墓石供養戒名といったものに対する高額な料金で弔いを断念しなければならない人が増え、こういったことも宗教憎しの感情を煽り、「宗教は非課税で優遇されてずるい」といった、ちょっと事実とは違った思い込みによる批判の声も高まり、今の時代は救済してくれる何者をも持たない時代といえます。

  仏教徒の努力といっても、限界がある。葬儀社は便利であるものの、そういうものの介在が逆に宗教と俗人との間を引き離していないか。樹木葬でいい、散骨してほしいと言い残す人が増えているのも、高額な葬儀や供養で家族らに迷惑をかけたくないと気を使っているとしたら、何と悲しいことか。  

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