政談30
【荻生徂徠『政談』】30
(承前) 総じて旅人は一泊以上隔たった所から来た者ならば路引(旅券)を持参しているはずで、無い者はそのままにしてはならない。また、添状を送られた者が別に勝手に添状を出してはならない。但し本在所の添状に旅行の理由が明記してあれば苦しからず。他国に滞在して三年が過ぎたならば、本在所から添状を送った先に居させてはならない。本在所においても、他国へ出て三年が過ぎた者がいれば奉行所へ届け出ること。
以上のように法を整備するのは、日本国中の人を江戸も田舎も住所を定めて、これはどこの土地の人ということを明確にするためである。そうすれば子々孫々まで永くその土地に住み、どこの国の者かわからないようなことがなく、勝手に他国の人となることを防げばその土地に定着し、その土地の責任者を置くことで勝手に離脱する者が一人もなく、他国からひそかに紛れ込む者もなくなるのである。
[注解]旅人についての段は以上。江戸初期はまだ街道など主要道路が整備されてなく、山賊などのならず者も出て危険だったことと、何よりも幕府が外様大名による謀反や攻撃を恐れて勝手な移動を禁止したことで、旅行は公用などよほどのこと以外はほとんどされなかった。しかし、自主的に行われるようになり、3代家光の時に制度化された参勤交代により諸国の道路が整備され、宿場など旅行のための施設や商売が発達するにつれて他国への移動の制限が徐々に緩和。世の中が泰平となり、治安もよくなると武装していない庶民(最初は商人や物売り、芸人ら)も旅行をするようになった。さらに、お伊勢参りなど神社仏閣への参拝や病気治療のため温泉場へ行くといった明確な理由がある場合は長期の旅が許されるようになって爆発的に旅行ブームとなった。農民たちも冬の農閑期にはこぞってお伊勢参り(ついでに京大坂見物=参拝のついでに別の所へ立ち寄るのは黙認された)や江戸見物をするなど、この『政談』が書かれた頃には本格的なブームの到来となり、このあとには女性たちによる江ノ島詣でや、目の不自由な人も安心して旅ができるまでになりました。それに付け込んで勝手に移動する者も出てきたために、徂徠は居場所が分からない者がでないようにするため、戸籍を完備し、常に居所が把握できるようにすることを述べています。
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