政談26
【荻生徂徠『政談』】26
(承前) とかく武家は柔弱で愚かになり、事の取り捌きはすべてが理解できず、また軽薄第一の風潮になったことから、少しでも身分が上の者の屋敷に欠け落ち者が住んでいた場合は勿論のこと、同輩の者の屋敷に住んでいることがわかった場合でも遠慮して見て見ぬふりをする。また、それを召し抱える者も奉行所から問い合わせがあると、「その者は今朝、当方から欠け落ちしてここにはいない」とごまかし、しばらく目をつけられないようにするのを利口とする者が多い。『さようの者を召し置き候(そうろう)は法にそむく。その上傍輩への無礼なり。無礼は我が身の瑕瑾(かきん)也』(そのような者を召し抱えることは法に背く。その上、朋輩に対して無礼である。他人への無礼は我が身の過失である)という事は夢にも知らぬ。たとえ昔の武士のような者を召し抱えていたとしてもそれには従わず、今は何もかも狡知に長けてうまくすり抜け、良いものを排除し、物事をしっかりと対処して我が身に引き受けるといったことをしない。そのため、責任を持つ、責任を取るといった意識がなくなり、この風潮に慣れて、公法による咎人(とがにん)である欠け落ち・逐電に対してさえも、奉行所役人たちは「下々にこのような事は珍しくない。いちいち裁きをつけることなどできぬ」と訴人をののしり、ろくに詮議もしない。
[注解]身分ある大名の屋敷では欠け落ちの咎人を匿い、調べをしようとすると「その者は今朝がた逃げた」とシラを切る。こんなことが続き、奉行所も嫌気がさして、こんなことはよくあることと言って取り上げなくなった。町奉行は大名に対しては管轄外であるものの、欠け落ち・逐電者が町人や農民の場合は一応、事情を聞くことはできるし、もし事実であれば評定所の扱いとなる。そうなると大名にとっては外聞が悪くなるし、幕府に対してもまずいので、治外法権的な立場も利用して、とぼけることで町奉行を入れさせない。欠け落ち・逐電は重罪という法があるのに、身分ある側はこれを匿い、法を執行する奉行所は投げやりとなり、全体として「問題ない」という意識が蔓延、これが更に欠け落ち・逐電を誘発、奨励するような形となり、徂徠は遵法精神の頽廃ぶりを将軍に突き付けます。今に当てはめてみると、大名屋敷は内閣や政党に、奉行は検察に置き換えることができる。大名側では自分の身内の悪事を隠して何事もないとシラを切る。検察は形だけ調べて不起訴とする。あるいは門前払いにする。こんなことがまかり通るならば、それこそ法も警察・検察もいらないし、力の強い者が得をする。弱い者は強い者に取り入り、支持することで守られる。これでは世の中は進歩しないしよくもならない。江戸時代と違い、今は選挙がある。しかし、選ぶ者の意識・根性がそのようでは、何度選挙をしても変わらない。
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