佛像圖彙206
【206】観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
[通釈]
観世音菩薩 梵字はサ 十八日
観音経抄にいう「機感の相応の始末を監察するを観と号し、観する所の境界を世音と称す」と。
百ヶ日忌
[注]
観音経抄 書名。複数あり、この引用文がいずれにあるか未勘。
機感 仏が衆生の心の動きに感応すること。
相応 色と身のつり合いが取れていること。
[解説]
観世音菩薩(観自在菩薩)も既出。菩薩の一尊。 如来になるため(つまり成仏するため)に修行中の身で、まだ俗人としての身なりをしている。世の中のありとあらゆる人を救うために様々な姿に変身する。元来はは男性であったが、慈愛に満ちた女性の姿が多く、特に日本や中国などで広く信仰を集めている。釈迦如来や阿弥陀如来などは粗末な衣をまとうだけで一切の装身具もつけていない。頭は螺髪(らほつ)という特殊な髪形をしているが、菩薩のような髪飾りや冠は全くない。お坊さんが剃髪するのは、髪を伸ばせば髪形を気にしたり、常に梳(くしけず)るといったことに執着してしまうためとのこと。但し、浄土真宗のお坊さんは剃髪されている方は少ないようである。真言宗や禅宗、天台宗のお坊さんは毎日必ず頭髪を剃っておられるそうで、失礼な言い方で恐縮ですが、常に頭がピカピカしておられる。他の宗派や僧侶によっては、全体が黒っぽくなったら剃るといった方も。
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