政談18
【荻生徂徠『政談』】18
(承前) 宗旨の件も、元来その在所の人別帳に記載しておくものであるから、別に宗門手形を発行するには及ばない。宗門改めを厳格にするためということからそれぞれ請け人より手形をとる仕組みであるが、それではあまりに事務繁多であるため、請け状に宗旨を記載させ、江戸で檀那寺を作って先祖代々何宗であるとしているが、その多くは偽りである。法を確立しようとしながら形さえ整っていれば中身は嘘でもいいということをわざわざ教え、偽りの手形かどうかを厳しく調べて宗門改めを大切にしているふりをするのは埒もないことである。
[注解]あまたの宗教宗派が古来よりある日本では、基本的には信仰は自由でした。ただ、西洋より伝来したキリシタンは全くの異教徒であったことから警戒心が強く、島原の乱ではキリシタンおよびその教えが原動力になったことから幕府では弾圧することにし、踏み絵をして調べたり、転ぶ(改宗するか教えを棄てる)まで拷問し、それでも転ばない場合は火あぶりなど残虐な処刑をして、以後、宗門改めは幕末まで厳しく行われました。というと、江戸時代はやはり過酷で暗いいやな時代だと思われる方も少なくないでしょうが、厳しいのは一時だけで、少し時間が経つと緩くなる。三日法度(みっかはっと)と揶揄されたように、お上の厳しいご法度も三日もすれば取締りが緩くなり、誰も見向きもしなくなり、お上も四の五の言わなくなる。忘れた頃にまた同じ法度を出すが、それもその時だけ。国家権力による真の強権はむしろ明治時代から始まったと言ってよく、江戸時代は形の上では幕府が中央にあるものの、藩は藩ごとの法度があるし、裁判もそれぞれが行い、事件や訴訟が複数の藩や天領にまたがる場合のみ江戸で行うというように日本の中に多くの国があったような状態だったから、幕府のお触れといってもその種類によっては藩にはさほど関係がない状況でした。とまれ、キリシタン(および一向宗。なお、日蓮宗についても反体制的であるといったことから幕府は警戒した。今は破門された政教一致宗教を支持母体に持つ政党が政権側となり、世の中変われば変わるものです)については人別帳(戸籍)によって明らかにするようにしたから、旅行や奉公の時にわざわざ宗門証明を出すのは限られた事務方にとって仕事が膨大になるから不要である、と徂徠は説く。しかも、いくら書類を整えさせても、先祖代々何宗という記載そのものに偽りを書く者が後を絶たず、これを調査するとなると更に大変で、今の法は却って嘘をつくことをわざわざ教唆しているものだとして、形骸化した宗門改めはこれ以上、屋上に屋を重ねるようなことはすべきではないと述べています。自分の宗旨を偽る、ごまかすというのは今もよくあることで、「おたくは何宗ですか」と聞かれて「うちは無宗教です」と答える人が多い。さすがに昔は無宗教というのはあり得ず、「うちは真言です」「浄土です」といったように答えたが、これも今ではそのように言う人はなくなった。ましてや新興宗教となると、一部はちゃんと名乗る人もいるが、特に勧誘の場合はそれを隠し、まったく違うフリをして接近する。信仰心を隠す民族ゆえに、それを逆手に取る者たちが現れるわけです。
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