佛像圖彙203
【203】平野大明神(ひらのだいみょうじん)
[通釈]
平野大明神 梵字はサ 十六日
山城葛野の郡に鎮座。
仁徳天皇の御廟である。
本地は正観音。
[解説]
平野大明神は平野神社。京都市北区平野宮本町にある神社。式内社で、二十二社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。創建には諸説あって未だに定まっていない。桜の名所としても知られる。画像はcaedeKyoto[カエデ京都]より。
祭神は諸説紛々としており、仁徳帝であるとする説は鎌倉時代の『愚管抄』に「仁徳ハ平野ノ大明神ナリ」とあるように、かなり後世になって突然言われ出したものである。『佛像圖彙』の作者はこの説を採る。記録として最も古い『延喜式』「第1巻神祇1四時祭上」には平野祭の祭神として「今木神、久度神、古関神、相殿比売神」としている。
仁徳帝は古来より大阪の大仙陵とされ、宮内庁もそのように治定しているが、実際の被葬者は不明であり、近年の研究からも「仁徳天皇陵」という名称を控える動きがある。平野神社には仁徳帝の陵はない。仁徳帝といえば「民のかまど」に代表されるように聖天子とされているが、その事績は中国古代の天子の記録の引き写しとみられるものが散見し、後世において「仁徳」という漢風諡号とともに後付けで聖天子化されたとも考えられる。逆に残忍極まりないとされる武烈帝の事蹟も同様。
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