政談14

【荻生徂徠『政談』】14

 〇出替り奉公人のしまりの事

 当節は出替り奉公人の欠け落ち・取り逃げが多く、人々が難儀している。以前は給金並びに取り逃げの品々、引き負いの金高までを請け人が負い、その請け人が欠け落ちすれば請け人の地主が負ったため、奉公人のためにはよい仕組みであるが、逆に付け送りといった悪事がはやり、町人たちは難儀したものだ。今は請け人の身代切り(しんだいぎり)ということになるため、請け人と奉公人が申し合わせて同時に欠け落ちし、請け人の家財道具を予め外へ運び出しておき、あとには鍋一つ、阿弥陀仏の名号(みょうごう)を記した掛け軸一幅だけ残しておくといった状態である。これを裁きで身代切りとし、家財没収の際に悪人が法外な安値で買い取るために、僅かに鳥目百文二百文となり、それを主人に渡すことから、給金も取り逃げの分も回収できず、主人の取られ損となっている。


[注解]●出替り奉公人 1年ないし半年の有期契約の奉公人。3月5日が交替日。延長して雇用されることは稀だった。 ●欠け落ち・取り逃げ 奉公人が契約期間中に住み込んでいた店から逃亡することを欠け落ちといい、その際に主家の金品を持ち逃げすることを取り逃げという。 ●付け送り 奉公人や請け人が共謀して持ち逃げした金品の弁済義務を家の保証人(オーナー)や主人に転嫁すること。 ●身代切り 幕府(公権力)によって家財一切が強制的に債務弁済に充当される法律。吉宗の享保4年に改正されて、対象を請け人本人の家財に限定し、子や主人の弁済責任を免除した。徂徠はこの改正後の法律を念頭に述べている。

 続いては奉公人(従業員)の雇用についてです。江戸は政治都市ですが、武士たちも生活をしなければならない。そのために商人や職人たちも各地から次々と移住してきたり、出店を構えるなどした。規模の大きな店は奉公人も多く必要で、これを目当てに近在の農民らが臨時雇いとして江戸に来た。当時は臨時雇いも含めて住み込みが原則であり、どんな事情があるにせよ、無断で逃げ出したり、ましてや金品を盗むのは許されないこと。これは今でも同様です。かかる事態の場合、その奉公人を世話した請け人が責任を負うことになっていた。ところが、この請け人も公的に保証された身分の者ではなく、それこそ誰でもよかったために請け人も共謀して奉公人と一緒に逃げるといったことが続出。このため、最終的には店の家主や主人が責任を取らされ、今のように奉公人や請け人に対して刑事事件として訴えることは可能でも、結局は監督責任者が悪いということで取られ損、逃げられ損となった。しかも、吉宗による改正がなされるまでは主人の子らの持ち物まで弁済のために差し押さえられたため、ひどい場合には主家が丸裸状態で潰れてしまうといったこともありました。徂徠はこういった雇用のあり方についていろいろと提言をしてゆきます。

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