政談5

【荻生徂徠『政談』】5

(承前)和漢の古法を見てみるに、盗賊悪人を絡め捕るのは衛士(えじ)の役目である。今の与力・同心がこれ。しかし、衛士が刑罰を執行するのは和漢の古法にはないこと。なぜかというに、刑罰の権限が捕縛する者にあれば、賄賂を出して罪を逃れようとするのが民の人情だからである。そのために衛士は絡め捕るのを役目とし、これを刑罰を司る役人に引渡し、その役人が罪を糺して、殺しもすれば許すこともする。

 しかるに、今は盗賊奉行が刑罰もするため、与力や同心が賄賂を受け取って手心を加える。これは古法に背いたものであるからだ。その上、江戸中の武家・町方に隠れた悪人は探索することもできず、目明しとかいうような悪人を雇い、それに調べさせて御用を務めるしかない。摘発する目明しは元来悪人であるから、さまざまな悪事をすることはかねてより聞き及んでいるが、古法に背いて探索・捕縛する者が刑罰の執行も兼ねる現状では、御役目を承る者もこうするより仕方のないことである。


[注解]現在は警察と司法が完全に分かれていますが、江戸時代は徂徠が指摘しているように、奉行所が探索、逮捕から、吟味(取り調べ)、判決まですべてを担当した。時代劇で町奉行や同心、岡っ引き(目明し)モノが多いですが、この仕組みは危ないのではないかと気が付いた人はどれぐらいおられることか。遠山の金さんのように、お奉行自身が目撃者の場合は、証人としてこれほどすごい人はない。しかし、証人が逮捕を指示したり、自身で裁くというのは、私心なくこなすことは困難です。これは極端な例ですが、よほど重大な事件や複雑な案件は評定所に回して吟味するものの、ほとんどの事件は奉行の一存というのはやはり危険。徂徠もこれを指摘しているわけです。名奉行と言われた大岡越前。大岡政談のほとんどは中国や日本の他の奉行らの事例を仮託したもので、実際にはこれといった名裁きはしていない(「天一坊事件」など僅か)。それどころか、晩年に、ある人から「大岡殿はこれまでどのくらいの者を処刑されたか」と聞かれたのに対し、「さよう、二、三千人になり申そうか。しかし、いずれも御法により断罪したもので、特にどうという思いもござらぬ。ただ」「ただ?」「2人だけは拙者の手違いでござった。1人は処刑後に真犯人が現われたこと(冤罪)、もう1人は吟味中に死なせてしまったこと。これらは拙者の手違いであり、相済まぬことでござった」と答えたように、処刑はごく普通に行ったし(在位期間が20年と長かったから人数も多い)、職務に忠実だったから割り切っている。越前は奉行としてよりも、政治家としていろいろな功績を挙げている。それについては折に触れて紹介しましょう。

 目明しは同心が私費で雇った部下。岡っ引きともいう。市中くまなく探索したり、情報を広く蒐集するには限られた人数の同心ではとても足りないために、窮余の策として自然発生的に起こった非公認の制度。悪人の心理や動きは悪人こそがよく知るといったことで、凶状持ち(前科者)やヤクザらがおもに採用された。これがあだとなり、目明したちはお上の御威光を笠に着てユスリや嫌がらせは日常茶飯事。このために同心のみならず奉行所にとって迷惑千万。これが幕府の耳にも入り、たびたび「目明しを雇うことはあいならん」と禁令を出したものの、人手不足はいかんともし難く、しばらくするとまた密かに採用し、乱暴を働いては禁止、の繰り返しでした。これは現代の非正規雇用の形態、問題にも通じることで、正規雇用を徹底的に抑えて不安定な身分の非正規雇用で補充しても、結局は全体が地盤沈下するばかりです。つづく

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。