政談2

【荻生徂徠『政談』】2

巻之一

〇国のしまり一篇の発端の事

 総じて国を治めるというのは、例えば碁盤の目を盛るようなものである。目を盛らない盤では、どれほど強い者でも碁は打てない。洪水を静めるには川筋をつける。川筋をつけなければ、禹王(うおう)が再び生まれたとしても、水を静めることはできない。

 現在、防火については幕府の指示で江戸の家屋は塗屋(ぬりや)、土蔵造りとなり、火災が少なくなった。何事も起こり得ることを予測して手を打てば効果があることは明らかである。しかし、その他の御政務については道理を述べる人がいないようなので、和漢の古法に拠って私の考えを以下に記すこととする。


[注解]禹王=中国古代の王で、国を治めるには治水が第一であるとして河川水路を整備し、その功により聖天子の舜(しゅん)から譲位されて、夏(か)王朝を開いたとされる(伝説の域を出ない)。

 開巻第一、序にあたる部分です。将軍吉宗に対して考えや意見を述べた作品なので、訳文もそのような文体にすべきでしょうが、徂徠にとって晩年の作品であり、後世に残し伝えることも意識しているため、常体としました。名君と言ってよい吉宗はもともと紀州の藩主にさえなれない身だったのが、兄たちが次々と亡くなって藩主となったばかりか、7代将軍家継が急性肺炎により僅か8歳(数え)で急逝し、当然後継ぎがなかったことから、急遽、吉宗に白羽の矢が立ち、将軍職を継いだ。もともと藩主も予定されていなかったから、幼少の頃からのびのびと育ち、城下や村などにも外出、このために庶民のことがよくわかっていて、将軍になっても常に庶民のことを第一に考えた。江戸は火事が多く、ひとたび出火すると大火事になることがよくあったため、火消しの対処療法ではなく、防火対策に本腰を入れて、建物が燃えにくい構造にさせたり、町火消を整備して見廻りを密にしたりと、ほとんど自分の考えで行った。これを徂徠は昔の禹になぞらえて評価し、さらに政治というのはどういうものかを縷々申し上げてゆきたいと表明しています。箇条書きにしてせいぜい数枚にまとめても済むことですが、1冊の本になるほど膨大な提案書で、それだけ徂徠が吉宗に対して信頼し、期待を寄せていたことを表しています。なかなかここまでする人はいません。つづく

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