司馬江漢随筆・続21

【江戸時代の随筆・司馬江漢】続21

老子の教えは仏法に似ており、天下を治めるための教えではない。自分一人を安寧にする方法である。

 天下の人々はそれぞれ性格が異なり、天から気を授かって生まれるのだから、善人は教えずとも善人であり、悪人はどう教えても悪人である。だから教えを立てて天下を治めようというのは間違いである。自然天然のままで治まる、これを無為と言う。定規があるから曲ったものを見ることができるし、寸法があるから長短が分かるように、光を隠して塵と交わり、出る杭は打たれるからとにかく名利から離れよという教えである。

 荘子も同じような教えだが、別である。人間を菌に喩え、ぼうふらという虫に喩え、世の賢者を河童に見立て、いろいろと浮世の人をみな愚物と言って笑っている。


[注解]ここでも作者江漢の人間に対する厳しく割り切った考えが吐露されています。善人は生まれながらにして善人であり、悪人はいくら教育し矯正しても悪人である、ということ。これは性善説でも性悪説でもなく、善悪が混在し、それぞれ変わることはないという厳しいものです。性悪説は教育の必要性を説く根拠となり、教育によって善になるという可能性や期待が込められているものの、善悪混在説は持って生まれたものは変わりようがないし変えようもないというもの。このために古来よりあまり支持されなかったものの、江漢のように一部には支持する人もいた。

 江漢はさらに老子・荘子を引き合いに出して、教えによって為政者が天下を治めようとするのは間違い(無意味)だと喝破している。老子は道家の祖とされ、存在したかどうか不明な点が多い人ですが、その教えは無為自然で、儒家の教えと対極をなすものとされています。当初は諸子百家の一つとして思想家の扱いを受けていたものの、これとは別にあった天に従い自然を尊び外物に影響されないといった大陸古来の信仰が結びついて道教となり、さらに仏教の伝来によりその影響から完全に宗教となり、儒教がインテリ層のもの、道教は大衆のものとして広まりました。中国は儒教の国とよく言われ、現在では朝鮮半島などを含めて儒教文化圏を悪く言う向きがあるようですが、そもそも中国は儒教一色ではなく、唐代のように為政者階層も道教を信奉した時代(王朝)もあり、狭い見方で決めつけるのは却って本質を見誤ります。

 老子が西の方へ去る時、関所の役人から請われて残した書物が『老子』。この本は全く固有名詞が使われていない不思議なものですが、「大道廃れて仁義あり」「国家混乱して忠臣あり」は非常に有名な言葉です。これは儒家の教えを批判したものと言われていますが、そのような狭い捉え方をせずとも、普遍的な現象ということができます。仁義は道徳と同義ですが、正しい道が行われなくなったから道徳の必要性がある、というのは表面的な解釈。これは為政者のことを言ったもので、正しいことをしない為政者ほど道徳を言う、ということ。為政者は人々に師表となる存在ですが、その為政者が正しいことをせず、一方で道徳の必要性を強調したり強制しようとする。国家云々の文句も同じで、世の中を混乱させるから忠臣と言われる者が出る、ということで、仁義や忠臣が叫ばれたり求められたり称えられる世の中は決していい世の中ではないということを言っているのです。仁義も忠臣も無為自然では存在しない人為的なもの。これを強く求めるのが儒家で、否定するのが道家。

 聖人賢者哲人の教えはあくまで個人個人が吟味し自分の血肉とするもので、これを押し付けたり、ましてや評価の対象とするのは、逆に教えに背くことになる。江漢の言い方を借りるなら、悪人はいくら教育しても善人にはならないが、悪人がいくら教育を強制しても、善人も悪人も意のままにはならないということになる。いろいろ議論の分かれる段でしょうが、世の中に押し付けほど迷惑なことはなく、それでうまくゆくことはない道理は納得できることと思います。なおされない方もおられるかもしれませんが。

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