司馬江漢随筆・続20

【江戸時代の随筆・司馬江漢】続20

 今より40年以前の事である。(多摩川の)六郷の川上に毬子の渡しがある。まりこ村だ。ここより20町ほど行って郷地(ごうち)という所の染物屋の亭主はかねてより私に絵を学んだ弟子である。

 九月の末、私を伴って郷地に着いた。翌日は雨が降り、四、五日も逗留した。その時、五、六町離れた所に江戸より来たという手習いの師匠がいた。亭主とともにその師匠の所へ行き、夜になって帰った。道すがら盥山(かんざん)洗足寺(せんぞくじ)という寺がある。ここはその昔、神祖源頼朝公が当地を通行の時に老婆が衣類を洗濯しているのを御覧になり、その様子から寺号を授けたという珍しい名の寺だ。

 その日の暮れ方に葬礼があるとのことだったが、そんなことは知らず、夜半に染物屋の亭主と二人で寺を通りかかると、門前とおぼしき所に白い衣服を着て、腰から下は地面から浮き、ふわふわと動くものがある。世に言う幽霊である。当時は私もまだ若年でこのようなものは見たこともない。とても恐ろしくなり、近くに酒屋があったので寝ていたところを叩き起こした。酒屋の主人は手に六尺棒を持ち、「さあ来てみろ、この世に化け物なぞいるものか」と威勢よく先頭に立った。

 私たちはあとからびくびくしながらついて行くと、葬礼の時に紙で作った旗が木の枝に掛けたままになっているものであった。葬礼の時に掛けたのがそのままになっていたようだ。昼でもこの寺の前は樹木が茂って薄暗い。深夜ではなおさらで、旗が怪しいものに見間違えても無理はない。


[注解]有名な古川柳「幽霊の正体見たり枯尾花」そのものの出来事。街灯などなく(要所要所に常夜灯はあるものの、良くてロウソク、普通は油で、周囲を照らすというより、存在を示す程度)、月も出ていなければ夜は闇。白い何かがふわふわ動いていれば驚かないほうがおかしい。この世に幽霊や妖怪の類はいない、すべては心理状態のしからしむるところである、という持論を証明するために古今東西のあらゆる怪談、怪奇現象、迷信を調べたところから妖怪博士と異名をとった東洋大学創立者の井上円了氏がこの話も例として採用としているようです(引用している書物、論文は未見)。ある状況下に置かれ、限られた情報や知識しかないと、思い込みが肥大化し、ついにはそこにないものが見えてしまったり、それが別のものに見えてしまう。これを悪用すると洗脳工作、投票の誘導ともなるわけです。悪意のある者ほど情報を制限し、限られたものがすべてであるかのように思わせ、選ぶべきはそれしかない、選ばないと破滅する、恐ろしい目に遭う、と恐怖心を揺さぶる。人は恐怖に弱い。そこを突くわけです。情報を出し惜しみしたり隠そうとする者、組織にはご注意。

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