1939年10月12日
1939年10月12日 昭和14年
【内 閣】
総理 阿部信行/外務 野村吉三郎/内務 小原直/大蔵 青木一男/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 宮城長五郎/文部 河原田稼吉/農林 伍堂卓雄/商工 伍堂卓雄(兼任)/逓信 永井柳太郎/鉄道 永井柳太郎(兼任)/拓務 金光庸夫/厚生 小原直(兼任)/内閣書記官長 遠藤柳作/法制局長官 唐沢俊樹
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 湯浅倉平/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長 頼母木桂吉
聖跡蒲田梅屋敷公園(大田区東蒲田1)開園。
聖跡蒲田梅屋敷公園(せいせきかまたうめやしきこうえん)は、東京都大田区蒲田にある和風庭園。その名の通り多くの梅が植えられている。江戸時代に薬屋を営んでいた山本久三郎が、文政年間に梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源とされる。1868年から1897年にかけて明治天皇の9度の行幸がある。1873年3月6日の観梅の際、小梅一株を自らお手植えになる。この梅は「仙粧梅」と称された。1920年に京浜電気鉄道用地となる。その後、第1京浜国道拡幅などで用地を削られるなど縮小と荒廃が進み、1925年大友笠洲の提唱により「明治天皇聖跡保存会」が結成され、園内整備や用地の取得を行った。1933年11月2日、文部大臣より「明治天皇御聖跡地」として保存指定を受ける。1938年10月、敷地と園内の建物一切を東京市へ寄付。1939年10月12日の明治天皇行幸記念の日に聖跡蒲田梅屋敷公園として開園。1953年、東京都からに大田区へ移管され区立公園となった。公園内には池があり、その回りに遊歩道ができている。また、園内には大田区弓道場があるほか、相撲場もある。京急梅屋敷駅から徒歩7分、京急蒲田駅から徒歩8分の線路沿いにある。2007年頃から、敷地の一部が更地になり「京急蒲田駅付近連続立体交差化事業」のヤードとして使用されている。この部分に関しては工事終了後に復元される予定である。また、この事業とは別に、第一京浜の拡幅事業が都市計画で決定している。この公園は半分ほどの土地が拡幅予定地に含まれており、今後の拡幅工事の進捗によって土地が削られる予定となっている。
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