司馬江漢随筆・続18
【江戸時代の随筆・司馬江漢】続18
江漢後悔するの記
私は今年で七十余歳、今になって初めて壮年よりの誤りを知り、若い時から志を立てたことを思い出し、ここで一芸を以て名を成し、死後に至るまで名を残したく思い、まず刀を作ろうとしたが、刀は武門の第一の器で、刀を作って後代に残し、併せて名も後世に知られるようにしようと考えた。ところが、今は天下が治まり国が静謐であるから、古い名刀を以て武門の装備とし、新刀は用いない。そもそも刀は人を斬る道具であり凶器である。だから後悔してやめた。
次に、刀の目貫縁頭といった飾りを制作しようと思い立った。治世にはこれを愛玩する者が多い。後藤彫といって代々名品を作る家があるが、宗与(そうよ)、宗珉(そうん)、躬卜(みぼく)といった人たちが高彫を略して、肉あいといっておきあげのごとく肉高に彫り、人物から虫や魚まで見事に彫りつける。宗珉は英一蝶(はなぶさいっちょう)の作品を下絵として簡略に写し、片切彫といって毛彫にして工夫を凝らした。二代目宗与もこの技法を継承して妙手とされた。絵に例えるなら、後藤は高彫で、金銀その他赤胴火色を四分の一ずつ色々に混ぜて極彩色のようにする。躬卜は肉あい彫で、薄彩色のよう。宗珉と宗与は墨画。それぞれ工夫して一家を成した。これ以上の工夫をしなければ有名になることは難しい。だからこれもやめた。
平賀源内という讃岐の人が江戸神田のお玉が池という所に住んでいた。源内は物産家で本草(ほんぞう)者だからと仕官を好まず、浪人の身であった。その頃、八重霧という歌舞伎芝居の女形が、両国三つ股で蜆(しじみ)を取ろうとして水に溺れて死ぬということがあった。源内はさっそくこれを戯作し、地獄に落ちて閻魔王の前で狂言する話を読本にした。世人はこれを珍しい新作としておもしろがり、これがのちに神霊矢口の渡しという義太夫浄瑠璃、人形芝居の狂言作品となった。浄瑠璃は大坂より始まり、近松門左衛門の作が多い。そのため大坂言葉で書かれている。これを源内は江戸言葉に直した点が珍しく、これにより源内の名が知れ渡った。また、源内はオランダの珍しい物を好み、その当時は蘭学者も少なく、杉田玄白、中川順庵だけが有名だった。源内は「ヨンストンス」という五六十両もする蘭書が欲しくて、家財夜具まで売り払って購入した。この蘭書は世界中の生物を集めた本で、獅子や竜その他日本人が見た事もない生き物をたくさん写生している。今はこの本も出回って所持する人もいるが、源内の頃はまったく無かった。源内が長崎へ行った時、将軍に献上しようとしたものの不用ということで持ち帰ったこの本が通詞の家にあり、数年経って傷んでいたのを源内がもらい受けて江戸に戻り、数日間あれこれ考えた末にひらめいたのがエレキテルである。大名小名こぞって見物し、これにより源内は奇人と称されるようになった。しかし、ただ紙が動き飛ぶことと、火のような光が見えるだけで、人の体へ伝わることはなかった。ビイドロの壷の絵もあったが、源内は生前、これが何なのかとうとう分からず、死後になってオランダより渡来し、見世物に出され、世間でも知るようになった。源内はかつて金銀銅鉄が山にあるかどうかは山頂に立つと分かると言った。岩のような石のようなものが現われる、それを見る術があるという。我らも同行したことがあるが、ひどい間違い見誤りがあり、後悔してやめたことだ。
[注解]長文の随筆で、タイトルがつけられています。一つの分野、仕事に打ち込み、名を残した人でも、それが元からの夢であったというケースは少なく、しかも、晩年に至るまでその夢や別の好きなことをずっとやりたいと吐露する人が多いものです。江漢もその一人。やりたいことをやろうとする。しかし、同時にそれによって名を残したいという欲があるために、結局断念する。まだやりもしないうちにやめたのだから後悔とは言わないわけですが、ここが昔の人の感覚。余計なことをふと思うだけで、そういう心根に対して後悔する。平賀源内のことが後半に長々と書かれています。当時から奇人と呼ばれていた。奇人というと、奇怪な人、あやしい人物、と現代人はイメージしますが、もともと「奇人」とは一芸に秀でた人、何かに打ち込んだ人、貴重な人、浮世離れした人、といったほどの意味で、別に悪い言葉ではありません。むしろ評価されるべき人のことです。伴蒿蹊(ばん こうけい、享保18年10月1日(1733年11月7日) - 文化3年7月25日(1806年9月7日))という江戸時代後期の歌人・文筆家の著わした『近世畸人伝』が有名で、著名人から「乞食」まで、さまざまな階層の人200人を集めています。泰平の世は武士はすっかり官僚化し、何事も前例に従い、目立たず、平均化をよしとして個性がなくなったのに対し、庶民は好きなことに打ち込める余裕ができ(カネのかからない時代だったのも幸いした)、次々と名を成す町人お百姓衆が出てきました。浪人しかり。江漢のように、あれもしたい、これもやってみたいと思うようになるのも無理ないこと。しかし、何をするにしても中途からでは極めることが難しく、しかも名を成す(=プロになる)のはすべてに熟達した上で独自の世界を切り拓けるだけの技量と才覚がなければならず、付け焼き刃は剥げやすいの格言のとおりの状態になる。名を成すという欲を持たず、あくまで余技、道楽とすべきでしょう。
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