司馬江漢随筆・続17
【江戸時代の随筆・司馬江漢】続17
岩国に至り、弥山が嶽に登ろうとしたが、犬戻しという道で岩石が露出し、激流があり、岩国とはこのことを言うかと思いながら農夫やきこりが通る道をやっとの思いで過ぎ、ある村に入った。
五、六歳の童女が三歳ぐらいの小児を背負って歩いていた。この子らは両親がなく、他に頼る者もないという。村中の食べ物の残りをもらって何とか生きている。家はあるようだ。
鰥寡孤独(かんかこどく)の者は幕府の達しにより領主が救済することになっている。この国の家老は賢人にして学問があると聞いたことがあるが、領内すべてに目が行き届いていないようだ。
世間では唐めいたことを好み、風流な人を学者と誤解している人が多い。
[注解]あまり知られていませんが、徳川幕府の最大の政策は鰥寡孤独を救うということ。親がいない、子がいない、連れ合いがいない、身内親類もいない一人者の老若男女を出さず、いた場合は幕府(代官)や藩が面倒を見るという決まりでした。これは、浪人が大挙集まった島原の乱や慶安事件(由井正雪の乱)をきっかけとして、身寄りのない者、収入のない者は不満分子となり、世間を騒がせ、やがて倒幕に打って出るといった恐れから出たものですが、もともと儒教倫理による政治、教育の世であり、タテ・ヨコの人間関係で世の中が成り立つという教えから、それにはじかれる者を出すことはご政道にとって矛盾であり恥でもあったから、五人組制度を活用して、町内、村内に孤独な者を出さないようにさせました。
しかし、理想と現実は一致しないのが世の常。いくら為政者が賢人でも、細部までくまなく見渡すことは至難の業。下僚らを使い、常に情報を集めるようにすればまだしも、あくまで学問が好きで風雅を愛するだけで現実をよく見ない人だと、親のない小さい子が幼児をおぶって食べ物を乞うてさまよう状態もわからない。領主が最高責任者とはいえ、行政の実務は家老が執るもの。自分は学問に通じて聡明であるということをいくら自負しても、現実の姿を見ないのでは何にもならない。岩国といえば山口。現首相のお国。現首相は果たしてどこまで現実を見ているか。
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