司馬江漢随筆・続16
【江戸時代の随筆・司馬江漢】続16
昔、仏道が日本へ伝えられた時、このように仏像を尊拝するのだということで、なんのために尊拝するのかを理解もせず、天皇もこれを信仰して、寺院仏閣を建て並べ、今の世となっても寺領を寄進し、無用の僧を高官に据えている。もともと天竺では天下を治めるために仏像や寺院を設けたもので、上に居る者が信仰するためにあるのではない。下の愚民に布いて善化教導するために図ったものだ。地獄極楽といったものも分かりやすくして信じさせるための方便である。
[注解]これは江漢の認識不足で、日本も東大寺に象徴されるように、仏教が伝来してほどなくして、民衆の信仰心を利用して国家(といっても現在よりは規模が小さいが)を崇めるようにさせた。全国に国分寺を置いたのも中央集権、民衆支配のための役所の機能を持たせたからで、むしろ天竺よりも上を行ったとさえ言えます。仏教に対する信仰心は歴代天皇により差があったことも既に紹介した通りですが、存在が明確ではない神話時代を除き、天皇が仏教をよりどころにしたのは事実で、上皇となるとともに多くの天皇が出家し、中には法皇にまでなられたほど熱心な方も複数おられた。逆に、神官になられた方はなく、明治以降とはまったく異なります。江戸時代人は天皇を神などとは誰も思っておらず、「天皇」という言葉こそあるものの、多くは「帝」(みかど)と言い、「人皇」という言い方も特に学者の間で多く使われていました。「天皇」はあくまで天帝であり、朝廷の帝はその意志を承け伝える人。幕末になるにつれて神格化する者たちが現われ、明治政府は仏教を否定して神道を以て中央集権、民衆支配の具とした。歴史は繰り返すとはこのことです。
0コメント