司馬江漢随筆・続15
【江戸時代の随筆・司馬江漢】続15
ある大福長者が言うには、「貧しくては生きる甲斐がない。裕福な人だけが人らしく生きる。だが、大福(とても幸せ)であろうとするなら、世の無常など少しも気にすることはない。常に我が心を強く持ち、何事も世の中に願いや希望をかけてはならぬ。願いや希望は無限なもの。もし、それを実現させようとしたならば、百万の金もたちまち消えてしまう。もし、心に願いや希望が芽生えたならば、それは我が身を亡ぼすものと心得よ。小さなことでも実現しようと思うな。金銀を君主のごとく、神のごとく恐れ尊んで、それに使われてはならない。恥ずべき場面に遭っても恥とせず、衣食住の無駄を省き、自分の本分、仕事を怠らなければ、必ず大福人となる。だが、金を貯めても使うことをしなければ貧乏と変わらぬ。大欲は無欲に似たり」と。
[注解]この段はある大福長者の戒めのことばを紹介しただけのもの。異論なく、同感の時には、このように随筆に備忘録として書きつけておくものです。これは、一時期流行った「清貧のすすめ」といった押し付けがましくてマユツバものとは違い、カネは無いよりあるに越したことはないし、貧乏では人らしい暮らしもできないが、それよりも欲深が一番始末が悪く、夢や希望を持ち過ぎると、結局は散財してしまい、元も子もない。自分をしっかり持ち、たとえ今は貧乏で粗末なものを着たり食べたりしてもそれを恥とせず、自分のやるべきことを励むことが、やがて大福につながる。自信をもってそう教えたものです。折しも選挙が近く、「希望」を掲げたにわか政党が出てきました。希望は与えるものでもなければ、まして金看板として掲げ誘惑するものでもない。各人がそれぞれに持つもので、それを持つこと自体が大切。「貧しくては生きる甲斐がない」今ほどこれを痛切に感じる時代はないでしょう。戦後は国全体が極貧にあったものの、戦争や狂気の時代とは訣別し、夢あり希望の持てる時代へ向かうのだという強い気持ちになれた。今は、そういう気持ちを政治がことさらに萎えさせている。しかも、その補完勢力とみられる者たちが「希望」を掲げる。この態度を見ても「おかしい」と気づく必要があるでしょう。
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